奈良時代日本史歴史

簡単に一目で分かる「荘園」!誕生から崩壊までを元塾講師がわかりやすく解説

荘園の終わり

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室町幕府の滅亡と戦国時代の到来、それによる荘園制の崩壊について見ていきましょう。

下剋上と戦国時代の到来

守護と地頭を設置した鎌倉幕府、鎌倉幕府滅亡後にその地位を高めたのは守護でした。鎌倉幕府が滅亡して室町幕府が成立するまでのその間、各地では国司の権限を完全に吸収して独自の支配をする守護大名が誕生、また一方で農村でもこれまでと違った変化が見られるようになります。

農村では有力農民を中心とした集団ができるようになり、と呼ばれる自治組織を誕生しました。農民とは言え、団結した農民達はまとまっているため強く、時には荘園領主や守護大名に対抗する術も持つほどでした。さて、こうした流れで荘園の影が次第に薄れていくのが分かるでしょう。

実際、荘園制はこのあたりから崩壊に向かって進んでいきます。1467年の応仁の乱、下剋上と戦国時代の到来を告げるその戦いは室町幕府を滅亡に導いていき、力を持つ武士が荘園を横領していきました。この時点で荘園制は崩壊してしまったと解釈しても良いでしょう。

荘園を奪われて没落する貴族たち

守護が地位を高めたことで誕生した守護大名、しかし守護大名以上に力を手にしたのが戦国大名でした。戦国大名の武器は役職や権力などではなく武力であり、強さという武力一つで支配地域を広げていきます。もちろん、荘園の所有における争いも武力行使での解決を図っていました。

このように、土地の支配権まで武力行使が通用するとなれば有利なのは当然戦国大名、一方で貴族は戦国大名に次々と土地を奪われてしまいます。自らの収入源だった荘園を奪われた貴族は収入が得られなくなり、経済の基盤を失った多くの貴族が没落していきました。

もはや制度などなく奪い合いの対象とされる荘園、そんな荘園制に終止符を打ったのが豊臣秀吉です。豊臣秀吉は土地制度を見直す目的で太閤検地を実施、1つの土地に対して直接の耕作者の権利しか認めなくさせたことで、土地支配制度として成り立っていた荘園制は完全に崩壊しました。

荘園のまとめ

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では、荘園についてまとめていきましょう。

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