今日は荘園(しょうえん)について勉強していきます。日本の歴史の中で登場する「荘園」のキーワード、その意味は何となく分かる人も多いでしょうが、説明するとなるとどうでしょう。

荘園の歴史は長くその中では様々な形があり、荘園を本格的に覚えようとすると実はなかなか難しい。そこで、今回は荘園について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から荘園をわかりやすくまとめた。

荘園の誕生

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まずは荘園誕生のきっかけについて見ていきましょう。

墾田永年私財法の発令

荘園誕生のきっかけとなったのは、743年の墾田永年私財法の発令です。645年の大化の改新以降、公地公民制によって土地と人民は天皇のものであると定められており、民衆は自分の土地を所有することが許されていませんでした。しかし、この仕組みが朝廷に財政難の問題を引き起こします。

班田収授法により民衆に田を貸し与えて、そこで収穫できたものを年貢として取り立てる…これが当時の税の徴収の仕組みであり、民衆に貸し与えた田は口分田と呼ばれました。しかし、民衆からすればいくら農民として頑張ってもその土地は自分のものにはなりません。

そのため民衆の多くは労働意欲を失くして土地を耕す作業を放棄してしまい、そうなると朝廷も充分な年貢を徴収できなくなってしまいます。困った朝廷は743年に墾田永年私財法を制定、これによって耕した土地を自分のものにできるようにして、民衆の労働意欲を煽ったのです。

大規模な私有地を手に入れた貴族と寺社

これまではいくら土地を耕しても自分のものにならなかった民衆、それが自分のものになるようになったことで民衆も農業に励むようになりました。要するに墾田永年私財法とは私有地の所有を許可する制度なのですが、これを最大限に利用しようとしたのが貴族や寺社です。

墾田永年私財法にも決まり事はあり、好きなだけ無制限に土地を開墾して私有地化できるわけではありません。しかし、貴族や寺社の場合は庶民に比べて多くの土地を開墾できるよう優遇されていました。そこで、貴族や寺社は周囲の農民達を使って大規模な土地の開墾を進めます。

このように、墾田永年私財法を利用して莫大な広さの私有地を手に入れた貴族や寺社。これが荘園の始まりとされていて、当時の荘園を初期荘園と呼びます。そして、貴族や寺社が自らの労働力を使って開墾した荘園を自墾地系荘園、他人が開墾した土地を買収して自らのものとした荘園を既墾地系荘園と呼びました。

寄進地系荘園の誕生

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\次のページで「荘園に課せられる税から逃れる方法」を解説!/

荘園に課せられる税から逃れる方法

初期荘園は私有地となりましたが、それが田として使われる以上は租税が課せられます。さて、土地を所有できるようになった人々は、今度はその土地に課せられる税から逃れる方法を考えるようになりました。要するに脱税ですが、有力な貴族の場合はそれも容易だったようですね。

例えば、荘園を農地ではなく庭園を言い張る貴族もいたそうで、どう考えてもそれは苦しい言い訳ですが、有力な貴族という肩書きによって国司も取り締まることができませんでした。これは、そもそも役人の任命権は有力な貴族が持っていたからで、役人である国司は有力な貴族に頭が上がらなかったのです。

しかし、一般の農民ではそうはいきません。有力な貴族と同じ言い訳をしたところで国司には通用せず、そこで誕生したのが寄進地系荘園でした。農民は自分の荘園を有力な貴族や寺院に寄進、そして荘園の名義も貴族や寺院の名前に変更することで税の徴収を免れていたのです。

貴族や寺院の名義貸し

要するに貴族や寺社の名義貸し、農民は名義貸し料を納める必要がありましたが、その費用は税に比べれば安いもの。一方の貴族や寺社も、名義を貸すだけで自分の元にお金が手に入り、貸す側も借りる側もメリットがあることで、寄進地系荘園は各地で相次ぎました。

やがて、寄進した荘園には特別な権利がもたらされるようになります。寄進した荘園というだけで租税の支払いが免除される不輸の権、そこに国司が立ち入ることすら禁止された不入の権。そして、国司から不輸を許可された荘園を国免荘、朝廷から不輸を許可された荘園を官省符荘と呼びました。

最も、寄進地系荘園が誕生したそもそもの原因は国司自身にあり、班田収授法の崩壊によって権限が強化された国司が荘園に対して高額な税を要求するようになったことが挙げられます。なぜなら、そんな国司の理不尽な重税から逃れるために農民がとった手段というのが寄進地系荘園だからです。

武士の誕生

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平安時代の末期になると、治安の悪化から荘園を守るために武装する者が現れるようになります。これが武士の始まりです。

荘園を守るための武装

武士は地方の豪族や有力な農民が武装した姿ですから、彼らはその地位と武力を使って土地の開発と荘園の寄進を進めていきました。

要するに武士は当初荘園の番人を務めていたのですが、やがて荘園に館を築くなど、その地位は次第に高まっていきます。そして訪れた武士の時代、平清盛が初めての武家政権を築くとその次に時代の主役となったのは源頼朝。源頼朝は各国ごとに守護、各荘園ごとに地頭を設置しました。

最も、守護設置の目的は当時対立していた弟・源義経の捜索でしたが、あくまでそれは口実で、真の目的は鎌倉幕府の全国支配の基盤作りだとされていますね。さて、こうなると問題となってしまうのは幕府の地頭と朝廷の国司による荘園の二重支配でしょう。

地頭と国司の二重支配問題

荘園に設置された地頭は荘園を管理しており、一方で国司は徴税のために荘園を管理、どちらも荘園を管理することからその荘園は地頭と国司の管理に置かれた状態になります。いわゆる二重支配の構造、これが原因となって争いが起こることも稀ではありませんでした。

幕府側の地頭、これに対して朝廷側の荘園領主や国司との間で起こる争い、実際に争いが起こった際には幕府が裁いていましたが、そのための策も設けられています。例えば、地頭が一定の額の年貢を請け負って領主に納める地頭請など、こうした策によって地頭は領主に匹敵する権利を手にしました。

言い換えるならそれは国司の力が弱まったことを意味しており、室町時代になった頃にはもはや国司とは名ばかりの役職。実際には江戸時代まで続いていった国司の役職ですが、武家政権の到来と同時に徐々に権威を失っていき、明治時代になるととうとう国司の役職そのものが廃止されました。

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荘園の終わり

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室町幕府の滅亡と戦国時代の到来、それによる荘園制の崩壊について見ていきましょう。

下剋上と戦国時代の到来

守護と地頭を設置した鎌倉幕府、鎌倉幕府滅亡後にその地位を高めたのは守護でした。鎌倉幕府が滅亡して室町幕府が成立するまでのその間、各地では国司の権限を完全に吸収して独自の支配をする守護大名が誕生、また一方で農村でもこれまでと違った変化が見られるようになります。

農村では有力農民を中心とした集団ができるようになり、と呼ばれる自治組織を誕生しました。農民とは言え、団結した農民達はまとまっているため強く、時には荘園領主や守護大名に対抗する術も持つほどでした。さて、こうした流れで荘園の影が次第に薄れていくのが分かるでしょう。

実際、荘園制はこのあたりから崩壊に向かって進んでいきます。1467年の応仁の乱、下剋上と戦国時代の到来を告げるその戦いは室町幕府を滅亡に導いていき、力を持つ武士が荘園を横領していきました。この時点で荘園制は崩壊してしまったと解釈しても良いでしょう。

荘園を奪われて没落する貴族たち

守護が地位を高めたことで誕生した守護大名、しかし守護大名以上に力を手にしたのが戦国大名でした。戦国大名の武器は役職や権力などではなく武力であり、強さという武力一つで支配地域を広げていきます。もちろん、荘園の所有における争いも武力行使での解決を図っていました。

このように、土地の支配権まで武力行使が通用するとなれば有利なのは当然戦国大名、一方で貴族は戦国大名に次々と土地を奪われてしまいます。自らの収入源だった荘園を奪われた貴族は収入が得られなくなり、経済の基盤を失った多くの貴族が没落していきました。

もはや制度などなく奪い合いの対象とされる荘園、そんな荘園制に終止符を打ったのが豊臣秀吉です。豊臣秀吉は土地制度を見直す目的で太閤検地を実施、1つの土地に対して直接の耕作者の権利しか認めなくさせたことで、土地支配制度として成り立っていた荘園制は完全に崩壊しました。

荘園のまとめ

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では、荘園についてまとめていきましょう。

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荘園誕生のきっかけは墾田永年私財法

645年の大化の改新以降、日本は公地公民制を採用します。要するに「土地も人民も天皇のもの」という考えですが、土地が所有できないことは人々の労働意欲をかき消してしまい、その影響で朝廷も充分な年貢の取り立てができなくなりました。

そこで朝廷は743年に墾田永年私財法を制定、これが荘園誕生のきっかけとなる制度になります。墾田永年私財法によって自分で開墾した土地を所有できるようになり、つまり農民は土地の所有が認められるようになったのです。さて、ここで優遇されていたのが貴族や寺社でした。

貴族や寺社は農民に比べて多くの土地を開墾できるよう優遇されていて、そのため開墾さえ行えば膨大な広さの土地を手に入れられるのです。そこで貴族や寺社は農民を使って土地を開墾、こうしてできた貴族や寺社の土地が荘園と呼ばれるようになりました。

戦国時代到来による荘園制の崩壊

荘園を管理する国司はやがて権限が高まり、私腹を肥やすため荘園に対して重税を要求します。最も、国司は貴族に任命されて就く役職ですから貴族には逆らえず、そのため有力な貴族は国司の要求する税も難なく回避していました。しかし、そうはいかないのが一般の農民でした。

そこで農民は貴族や寺社に荘園を寄進して、名義変更まで行います。要するに貴族や寺社による名義貸しを使った脱税、この仕組みで成り立った荘園は寄進地系荘園と呼ばれるようになりました。さて、このように荘園制が成立していたのは、それは貴族や寺社が荘園を管理していたためでしょう。

ですから、戦国時代が到来すると荘園制は崩壊の道を辿っていき、武士の横領や農民の自立によって荘園制が成り立たなくなっていきました。その過程では、これまで荘園で収入を確保していた多くの貴族が没落したようです。そして、荘園制に完全な終止符が打たれたのが豊臣秀吉による太閤検地でした。

年代ごとの荘園の仕組みを覚えよう!

荘園を覚えるポイントは、時代の流れと共に変化する荘園の仕組みを理解することです。例えば、少々複雑なのが寄進地系荘園ですが、これは900年代以降に登場した荘園の仕組みになります。

「どのような仕組みの荘園があるのか」を覚えるのは大切ですが、ただ「それがいつの時代なのか」を覚えておかなければ知識にはなりません。ですから荘園の場合、年代を覚えることが一つのキーになるでしょう。

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奈良時代日本史歴史

簡単に一目で分かる「荘園」!誕生から崩壊までを元塾講師がわかりやすく解説

今日は荘園(しょうえん)について勉強していきます。日本の歴史の中で登場する「荘園」のキーワード、その意味は何となく分かる人も多いでしょうが、説明するとなるとどうでしょう。

荘園の歴史は長くその中では様々な形があり、荘園を本格的に覚えようとすると実はなかなか難しい。そこで、今回は荘園について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から荘園をわかりやすくまとめた。

荘園の誕生

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まずは荘園誕生のきっかけについて見ていきましょう。

墾田永年私財法の発令

荘園誕生のきっかけとなったのは、743年の墾田永年私財法の発令です。645年の大化の改新以降、公地公民制によって土地と人民は天皇のものであると定められており、民衆は自分の土地を所有することが許されていませんでした。しかし、この仕組みが朝廷に財政難の問題を引き起こします。

班田収授法により民衆に田を貸し与えて、そこで収穫できたものを年貢として取り立てる…これが当時の税の徴収の仕組みであり、民衆に貸し与えた田は口分田と呼ばれました。しかし、民衆からすればいくら農民として頑張ってもその土地は自分のものにはなりません。

そのため民衆の多くは労働意欲を失くして土地を耕す作業を放棄してしまい、そうなると朝廷も充分な年貢を徴収できなくなってしまいます。困った朝廷は743年に墾田永年私財法を制定、これによって耕した土地を自分のものにできるようにして、民衆の労働意欲を煽ったのです。

大規模な私有地を手に入れた貴族と寺社

これまではいくら土地を耕しても自分のものにならなかった民衆、それが自分のものになるようになったことで民衆も農業に励むようになりました。要するに墾田永年私財法とは私有地の所有を許可する制度なのですが、これを最大限に利用しようとしたのが貴族や寺社です。

墾田永年私財法にも決まり事はあり、好きなだけ無制限に土地を開墾して私有地化できるわけではありません。しかし、貴族や寺社の場合は庶民に比べて多くの土地を開墾できるよう優遇されていました。そこで、貴族や寺社は周囲の農民達を使って大規模な土地の開墾を進めます。

このように、墾田永年私財法を利用して莫大な広さの私有地を手に入れた貴族や寺社。これが荘園の始まりとされていて、当時の荘園を初期荘園と呼びます。そして、貴族や寺社が自らの労働力を使って開墾した荘園を自墾地系荘園、他人が開墾した土地を買収して自らのものとした荘園を既墾地系荘園と呼びました。

寄進地系荘園の誕生

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