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「新大陸発見」は世界を変えた?コロンブスの功罪を世界史通のライターが紐解く

アメリカ到達後のコロンブス

1度目の航海でアメリカ海域に到達したコロンブスは、その後合計で4回にわたって航海に出ています。1度目と2度目の航海では、キューバやジャマイカなど西インド諸島を探索しました。

実際にアメリカ大陸に到達したのは1948年の3度目の航海のときです。しかしアメリカを開拓する中で、コロンブスは先住民に対して横暴な行為を繰り返しました。その残忍な統治に現地では反乱が生じ、これを見かねたスペインはコロンブスの地位を取り上げてスペインに送還します。その後、周囲のコロンブスに対する視線は厳しいものに変わりました。

1502年に最後の航海に出たときは、それまでのような支援も得られなかったようです。そしてパナマ周辺を探索している間に難破して救助され、スペインへと送り返されました。コロンブスはその後間もなく、1506年に生涯を閉じたと言われています。

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有名なコロンブスの人生は輝かしいものだと思っていたが、そういうわけではなかったのかもしれないな。

コロンブスはアジアにたどり着いたと信じていた

image by PIXTA / 28514276

コロンブスが目指したのはアジアだった

コロンブスは、アメリカに到達した人物として歴史に名を残しています。しかし実際のところ、コロンブスが目指していたのはアジアでした。コロンブスは「アメリカ」の存在を知らなかったので、丸い地球を西に進めばたどり着く陸地はアジアであるはずだと考えていたのです。

コロンブスは、合計で4回アメリカ海域に到達しています。周囲を調査する中で、その場所が大陸であるということには思い至っていたようです。しかし、コロンブスにとってそれはあくまでアジアの一部でした。彼は、到達した場所がアジアであることを死ぬまで信じていたのです。

「アメリカ」という名前の由来

「アメリカ」という名前は、アメリゴ・ヴェスプッチという人物に由来しています。アメリゴ・ヴェスプッチはイタリア出身の探検家です。コロンブスのアメリカ到達後に航海に出てその周辺を調査し、そこはコロンブスの主張するようなアジアではなく、存在を知られていなかった新しい大陸だと主張しました。その後1507年に製作された世界地図で、彼の名にちなんでその新しい大陸に「アメリカ」という名前が付けられたことが、アメリカの由来と言われています。

ただし、アメリカにはコロンブスに由来する名前も数多く残っているようです。たとえば、アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.のD.C.とは、「コロンビア特別区」のこと。このコロンビアは、コロンブスの名前にちなんでいます。また、南米大陸にはコロンビア共和国という国がありますが、このコロンビアもコロンブスが由来です。

また、カリブ海域の島々を「西インド諸島」と呼ぶのはもちろん、コロンブスがそこをインドだと勘違いしたから。アメリカの先住民は「インディアン」と呼ばれることがありますが、これも同様の理由です。

大陸の名前になるという名誉はアメリゴ・ヴェスプッチに譲ってしまいましたが、ヨーロッパ人として初めてアメリカに到達したコロンブスの影響はやはり色濃く残っているのですね。

「新大陸発見」の功罪

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from Дитяча енциклопедія, a translation of Детская энциклопедия, パブリック・ドメイン, リンクによる

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