ヨーロッパの人々は15世紀ごろまでアメリカ大陸の存在を認識していなかった、って知っていたか?大西洋の彼方に新たな大陸が見つかったのは歴史的にもすごくインパクトのある出来事で、「新大陸発見」と呼ばれるようになった。当時の詳しい状況を見てみよう。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、イギリスに渡り大学院の修士号を取得したライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。今回は「新大陸発見」について解説する。

「新大陸発見」とはどのような出来事か

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新大陸とはどこのこと?

「新大陸発見」がどのような出来事なのかを知るために、まずは「新大陸」とは何かについて解説しておきましょう。

一般に新大陸と呼ばれるのは、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、そして南極大陸です。もともとヨーロッパ世界では、これらの大陸の存在は知られていませんでした。科学技術が今のように発達するまで、地球の全体像は把握されていなかったからです。その頃に製作されていた世界地図には、ヨーロッパとアフリカ、アジアが描かれているだけでした。それすらも位置関係や形状は正確にわかっておらず、アフリカとアジアはつながっていると考えている人もいたようです。

その後、航海技術や天文学の発展に伴い、地球がどのような地形なのかが少しずつ解明されていきます。そうした中で15世紀以降に新たにヨーロッパ世界で存在が認識されるようになったアメリカ大陸やオーストラリア大陸などが、「新大陸」と呼ばれているのです。

アメリカ大陸の「発見」

歴史の用語で「新大陸発見」と言うとき、ヨーロッパ世界が南北アメリカ大陸の存在を認識するようになった出来事を指しています。

アメリカ大陸が「発見」されたのは、15世紀から始まる大航海時代の序盤のことでした。初めてアメリカを見つけたヨーロッパ人は、探検家のコロンブス。コロンブスは1492年、ヨーロッパから西回りでインドにたどり着く航路を探す航海のさなかにアメリカ海域に到達したのです。

もちろん、アメリカにはそれよりも前から居住している人々がいました。また、歴史を紐解くと、実はコロンブス以前にも別の大陸からアメリカにたどり着いたことのある人はいたと言われています。しかし、西欧のキリスト教文化圏の人々にアメリカ大陸の存在が周知されたのは、コロンブスの航海以降のことでした。そのため、この出来事が「新大陸発見」と言われているのです。

大航海時代のヨーロッパ

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大航海時代とは

コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは、大航海時代が始まったころのことです。大航海時代とはヨーロッパ諸国が海をつたって外の世界に進出し始めた時代で、15世紀から17世紀ごろまで続きました。香辛料貿易などの商業活動やキリスト教の布教のため、国々がこぞって新世界を探し始めたのです。ヨーロッパの勢力が拡大した時代となりました。

大航海時代の幕開けの中心となったのは、ポルトガルとスペインです。当時は地中海での貿易がさかんでしたが、両国は地理的に少し隔たりがあったためにこの恩恵をあまり受けることができませんでした。そのため、新たな世界の開拓のために海へと進出していったのです。コロンブスに冒険のための資金を提供したのも、スペインでした。

大航海時代に活躍した探検家たち

大航海時代にはコロンブス以外にも名の知られた多くの探検家が活躍したので、見てみましょう。

ポルトガルのエンリケ王子は、大航海時代の始まりを告げた人物とも言われています。海洋進出に力を入れていた彼はアフリカ大陸の西岸に何度も探検隊を派遣して多くの成果を上げ、後に続く大航海時代の基礎を築きました。

その後もアフリカ海域の探索を続けていたポルトガルは、アフリカ最南端の喜望峰への航海に成功しました。この船旅に派遣されたのは、バルトロメウ・ディアスという探検家です。コロンブスがスペインの支援でアメリカ大陸を発見したのは、そのすぐ後のことでした。

西回りの探索を行ったスペインとは対照的に東回りの航海に力を入れていたポルトガルは、コロンブスの偉業からほどなくして、ヨーロッパから東回りでのインド到達を成功させました。この航海を率いたのが、有名なヴァスコ・ダ・ガマです。そして1522年、スペインによる支援を受けたマゼラン一行が、世界初となる世界一周を成し遂げました。

大航海時代、多くの探検家が文字通り命がけで海へ出ていき、世界のつながりを深めるきっかけを築いたのです。

コロンブスによる新大陸発見

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リドルフォ・ギルランダイオ - http://www.cristobal-colon.net/portraits/italie/It_Ghirlandaio.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

航海に出るまでのコロンブス

では、「新大陸発見」の立役者であるコロンブスについても見ていきましょう。コロンブスは、イタリアのジェノヴァ出身と言われています。父親が毛織物業を営んでおり、手伝いの一環で若いころから船に乗る機会もあったようです。

マルコ・ポーロの『東方見聞録』などの書物を読む中でインド、中国、ジパングなどアジアの国々に興味をもつようになります。また、天文学や航海技術なども学び見識を深めていきました。リスボンに住む弟の仕事に協力し、地図製作に携わったこともあるようです。

そんな中、地球が球体であることを信じていたコロンブスは、アジアにたどり着くためには西回りで航海すればよいのではないかと考えるようになりました。アメリカの存在が知られていなかった当時、コロンブスは地球を実際よりも小さく見積もっていたため、東回りよりも西回りの航路の方が簡単だと信じていたようです。もちろんそれは間違いだったのですが、結果としてコロンブスはアメリカ大陸の発見者として名を残すことになります。

航海に出たコロンブス

長期間の航海を実現するためには、莫大な資金が必要です。西回りでアジアを見つける旅に出るための支援を、コロンブスは初めポルトガルに求めました。しかし、ポルトガルは当時アフリカの南端から東へ回るルートの開拓に力を入れており、思わしい反応を得ることができませんでした。

そこで、コロンブスはこの計画をスペインに持ち込みます。財政的な事情から当初は良い返事を得ることのできなかったコロンブスですが、紆余曲折を経て、スペインのイサベル女王の支援によって航海に出ることができるようになりました。

1942年8月3日、コロンブスは3隻の船を率いてスペインのパロス港を出発したと言われています。まだ地球の全貌がわかっていないこの時代、陸地がほとんどなく広大な大西洋を長期間にわたって進み続ける間に乗組員の不安は増幅し、船上で暴動が生じたこともありました。しかし10月11日、2か月を超える航海の末に一行はついに陸地を発見。12日に上陸を果たしたのです。コロンブスは、そこをサン・サルバドル島と名付けました。

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アメリカ到達後のコロンブス

1度目の航海でアメリカ海域に到達したコロンブスは、その後合計で4回にわたって航海に出ています。1度目と2度目の航海では、キューバやジャマイカなど西インド諸島を探索しました。

実際にアメリカ大陸に到達したのは1948年の3度目の航海のときです。しかしアメリカを開拓する中で、コロンブスは先住民に対して横暴な行為を繰り返しました。その残忍な統治に現地では反乱が生じ、これを見かねたスペインはコロンブスの地位を取り上げてスペインに送還します。その後、周囲のコロンブスに対する視線は厳しいものに変わりました。

1502年に最後の航海に出たときは、それまでのような支援も得られなかったようです。そしてパナマ周辺を探索している間に難破して救助され、スペインへと送り返されました。コロンブスはその後間もなく、1506年に生涯を閉じたと言われています。

コロンブスはアジアにたどり着いたと信じていた

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コロンブスが目指したのはアジアだった

コロンブスは、アメリカに到達した人物として歴史に名を残しています。しかし実際のところ、コロンブスが目指していたのはアジアでした。コロンブスは「アメリカ」の存在を知らなかったので、丸い地球を西に進めばたどり着く陸地はアジアであるはずだと考えていたのです。

コロンブスは、合計で4回アメリカ海域に到達しています。周囲を調査する中で、その場所が大陸であるということには思い至っていたようです。しかし、コロンブスにとってそれはあくまでアジアの一部でした。彼は、到達した場所がアジアであることを死ぬまで信じていたのです。

「アメリカ」という名前の由来

「アメリカ」という名前は、アメリゴ・ヴェスプッチという人物に由来しています。アメリゴ・ヴェスプッチはイタリア出身の探検家です。コロンブスのアメリカ到達後に航海に出てその周辺を調査し、そこはコロンブスの主張するようなアジアではなく、存在を知られていなかった新しい大陸だと主張しました。その後1507年に製作された世界地図で、彼の名にちなんでその新しい大陸に「アメリカ」という名前が付けられたことが、アメリカの由来と言われています。

ただし、アメリカにはコロンブスに由来する名前も数多く残っているようです。たとえば、アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.のD.C.とは、「コロンビア特別区」のこと。このコロンビアは、コロンブスの名前にちなんでいます。また、南米大陸にはコロンビア共和国という国がありますが、このコロンビアもコロンブスが由来です。

また、カリブ海域の島々を「西インド諸島」と呼ぶのはもちろん、コロンブスがそこをインドだと勘違いしたから。アメリカの先住民は「インディアン」と呼ばれることがありますが、これも同様の理由です。

大陸の名前になるという名誉はアメリゴ・ヴェスプッチに譲ってしまいましたが、ヨーロッパ人として初めてアメリカに到達したコロンブスの影響はやはり色濃く残っているのですね。

「新大陸発見」の功罪

Columbus routes.png
from Дитяча енциклопедія, a translation of Детская энциклопедия, パブリック・ドメイン, リンクによる

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「侵略者」コロンブス?

「新大陸発見」という出来事は、当然、発見された側にも多大な影響を与えました。コロンブスが「発見」した場所に暮らしていた先住民族は初め、海から突然やってきたコロンブスの一行を歓迎しもてなします。しかし彼らが侵略者として振舞ったため、先住民族は抵抗するようになりました。コロンブスはそれに対して、先住民の虐殺という形で報復したのです。コロンブスのアメリカ到達以降、先住民の数は大きく減少したと言われています。

本国スペインでも、コロンブスの残虐性は批判されるようになりました。黄金を探させるために人々を酷使し、殺戮を続けたコロンブスは、暴君としての顔も持ち合わせていたのです。

「新大陸発見」の歴史的なインパクト

コロンブスに「発見」されるよりもずっと前から、アメリカ周辺では人々が暮らし文化を築いていました。それなのにアメリカを「発見」したと言うのはおかしいのではないかという批判は大きく、現在では「発見」という言葉が使われることは少なくなってきています。

アメリカにも文明があったことは紛れもない事実ですが、コロンブスの成し遂げたことに大きなインパクトがあったということもまた事実です。科学技術が発達するまでずっと、人類は大陸ごとに分断され、主だった交流をすることなく過ごしてきました。しかし、「新大陸発見」以降は大陸間の交易が行われるようになります。一種のグローバル化が進んだのです。

動植物や商品だけでなく、言葉や考え方、そして病気など、善悪様々なものが地球規模で広まるようになったのは大航海時代以降のこと。コロンブスの「発見」は、歴史の転換点とも言えるでしょう。

締め文の見出しを設定してください。

「新大陸発見」というのはヨーロッパ世界から見た言葉であり、注意して使わなければいけません。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」する以前から、アメリカでは人々が暮らしていました。現在では、「発見」ではなく「到達」などと別の言葉で言い換えられることも増えています。歴史を学ぶとき、その視線の起点はどこにあるのかということを常に意識するようにしましょう。

ただし、コロンブスの偉業の重要性が薄れることはありません。科学技術の進歩に支えられ、大航海時代にはヨーロッパ諸国が大陸を越えて「新世界」へと飛び出していきました。その中では多くの悪行があったのも忘れてはいけませんが、世界の一体化に大きな役割を果たしたのもまた紛れもない事実です。

歴史は批判するためだけにあるのでも、褒め称えるためだけにあるのでもありません。過去に起きた出来事がその後の世の中にどのような影響を与えたのか、フェアな視点で考えてみてください。「新大陸発見」という出来事は、その格好の題材となるでしょう。

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「新大陸発見」は世界を変えた?コロンブスの功罪を世界史通のライターが紐解く

ヨーロッパの人々は15世紀ごろまでアメリカ大陸の存在を認識していなかった、って知っていたか?大西洋の彼方に新たな大陸が見つかったのは歴史的にもすごくインパクトのある出来事で、「新大陸発見」と呼ばれるようになった。当時の詳しい状況を見てみよう。

世界史に詳しいライター万嶋せらと一緒に解説していきます。

ライター/万嶋せら

会社員を経て、イギリスに渡り大学院の修士号を取得したライター。歴史が好きで関連書籍をよく読み、中でも近代以降の歴史と古典文学系が得意。今回は「新大陸発見」について解説する。

「新大陸発見」とはどのような出来事か

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新大陸とはどこのこと?

「新大陸発見」がどのような出来事なのかを知るために、まずは「新大陸」とは何かについて解説しておきましょう。

一般に新大陸と呼ばれるのは、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、そして南極大陸です。もともとヨーロッパ世界では、これらの大陸の存在は知られていませんでした。科学技術が今のように発達するまで、地球の全体像は把握されていなかったからです。その頃に製作されていた世界地図には、ヨーロッパとアフリカ、アジアが描かれているだけでした。それすらも位置関係や形状は正確にわかっておらず、アフリカとアジアはつながっていると考えている人もいたようです。

その後、航海技術や天文学の発展に伴い、地球がどのような地形なのかが少しずつ解明されていきます。そうした中で15世紀以降に新たにヨーロッパ世界で存在が認識されるようになったアメリカ大陸やオーストラリア大陸などが、「新大陸」と呼ばれているのです。

アメリカ大陸の「発見」

歴史の用語で「新大陸発見」と言うとき、ヨーロッパ世界が南北アメリカ大陸の存在を認識するようになった出来事を指しています。

アメリカ大陸が「発見」されたのは、15世紀から始まる大航海時代の序盤のことでした。初めてアメリカを見つけたヨーロッパ人は、探検家のコロンブス。コロンブスは1492年、ヨーロッパから西回りでインドにたどり着く航路を探す航海のさなかにアメリカ海域に到達したのです。

もちろん、アメリカにはそれよりも前から居住している人々がいました。また、歴史を紐解くと、実はコロンブス以前にも別の大陸からアメリカにたどり着いたことのある人はいたと言われています。しかし、西欧のキリスト教文化圏の人々にアメリカ大陸の存在が周知されたのは、コロンブスの航海以降のことでした。そのため、この出来事が「新大陸発見」と言われているのです。

大航海時代のヨーロッパ

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