会議場からの退場と国際連盟脱退の通告
国際連盟臨時総会には日本も出席しており、日本からすれば自分以外の他者みんなが満州国を認めない状況。しかし日本はそれでもリットン調査団の調査結果に納得できず、代表として会議に出席していた松岡洋右は連盟の勧告案を完全拒否、それどころか会議場からも退場する態度を見せました。
さらに翌月には日本の国際連盟脱退を通告、松岡洋右がとったこの一連の行動は日本国民に支持されて、まるで英雄として扱われるかのような歓声も受けたようです。新聞の見出しには大きくアップで「連盟よさらば!遂に協力の方途なし無し」と掲載されました。
最も、日本でこのように受け入れられたのはマスコミが国際連盟脱退を支持した影響によるものでしょう。そもそも、満州において日本が権力を手に入れたのは日露戦争で流された血によるものと讃えられており、マスコミやニュースでは日本が起こした軍事行動を支持したのです。
孤立する日本と国際連盟の有名無実化
松岡洋右の態度と日本の国際連盟脱退が英雄視されたのは、あくまで日本の中だけにおける話。国際連盟の脱退通告は日本を単独に……単独どころか世界から孤立する状況を作ってしまいます。とは言え、国際連盟にとっても日本脱退は痛手となり、続いてドイツとイタリアも脱退してしまいました。
また、ソ連に至ってはフィンランド侵攻時に除名。国際連盟の制度や提案では戦争を抑制することはできず、また国際紛争を調停することもできなかったのです。これは国際連盟の存続維持にも関わることで、そもそも国際連盟は1920年より平和維持が目的の機関として誕生しました。
しかしアメリカは元々国際連盟に加盟しておらず、さらには日本・ドイツ・イタリアの脱退とソ連の除名。特に日本とイタリアは常任理事国として認められていましたから、その2国が脱退したことで国際連盟はやがて有名無実化。実際、後に勃発する第二次世界大戦を止める力もありませんでした。
リットン調査団の目的は満州国の調査
では、リットン調査団についてまとめてみましょう。リットン調査団とは国際連盟が結成した団体で、調査団名は団長の名前がそのまま由来になっています。目的は満州国の調査、満州事件で満州制圧を果たした日本の関東軍が建国した満州国の正当性を確かめるものでした。
1931年に関東軍が守っていた南満州鉄道の線路が爆破された柳条湖事件、これを中国軍の仕業とした関東軍が軍事行動を起こして満州全土を制圧したのが満州事変です。しかし、柳条湖事件の真相は線路を爆破させた犯人は関東軍自身、軍事行動を起こすための口実作りとして自作自演の爆破事件を計画したのでした。
こうして建国された満州国に対してリットン調査団の調査結果は「満州国を国として認めない」の結論。この結論に対して国際連盟臨時総会では日本のみが反対、満州国建国を認められない不満から日本代表の松岡洋右は会議場を退場、さらには日本の国際連盟からの脱退を通告しました。
国際連盟を脱退した日本の未来
国際連盟から脱退して自ら常任理事国の地位を捨てた日本、これが直接影響したのかは分かりませんが、日本の将来は明るいものではありませんでした。満州事変の影響で権限においても軍の強さが浮き彫りに出た日本では、1936年に二・二六事件と呼ばれる首都東京を陸軍の一部が占拠する事件が発生。
さらに1937年には日中戦争、1939年に世界で第二次世界大戦が勃発すると、1941年には日本も太平洋戦争を起こして第二次世界大戦に加わる形となりました。そして、太平洋戦争の先にあったのは今もなお語られる原爆の被害と悲劇、日本は多くの犠牲を出して戦争に大敗したのです。
一方、第二次世界大戦を食い止められなかった国際連盟は戦争中の活動は停止されました。そして1946年になると正式に解散、これまで培った資産と役割は国際連合へと引き継がれていくのでした。振り返れば、リットン調査団の調査結果が自業自得とは言え世界から日本を孤立させることになったのです。
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リットン調査団を理解するには満州事変を理解しよう!
リットン調査団を覚えるポイントは、満州事変を覚えることですね。リットン調査団の目的が満州国の調査である以上、満州国を知る必要があり、満州国を理解するには満州事変の理解が必要になってきます。
と言うよりも、満州事変について事件だけでなく事件後のことまで覚えていけば、その中でリットン調査団も登場してくるでしょう。つまり、満州事変を知ることがリットン調査団を知ることにつながります。