日本史昭和歴史

問われる満州国の正当性「リットン調査団」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日はリットン調査団について勉強していくぞ。リットン調査団とは国際連盟によって結成された団体で、団長はイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンだ。

結成された目的は満州国に対する調査だが、それがどう日本に関連するのか、そもそも満州国とはどんな国なのか。そこで、今回はリットン調査団について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」からリットン調査団をわかりやすくまとめた。

リットン調査団結成のいきさつ ~張作霖爆殺事件~

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満州支配を計画した日本

中国には満州がありますが、満州は地域であって国ではありません。そうなると、リットン調査団が調査した満州国とは一体何なのかという話になってくるでしょう。そして、その真相につながるのが満州事変、これは1931年に関東軍が柳条湖事件をきっかけに満州全土を占領した事件です。

そこで、まずは満州事変について簡単に解説していきます。当時日本は満州に進出して植民地にすることを狙っており、そのための手段として中国の内戦を利用しようと考えました。内戦中の中国において勢力の高い支持される人物を支援、そうすることで中国内での日本の影響と権利を高めようとしたのです。

その時、日本が目をつけた人物が満州を支配していた張作霖。彼を支援した日本でしたが、ただ張作霖は次第に欧米の支援を望むようになったため日本との関係が悪化。その上内戦の末に起こった戦いにも敗北したため、日本にとって張作霖はもはや支援する価値のない無用の存在となりました。

張作霖爆殺事件の発生

無用の存在と張作霖に対して日本は彼の乗る列車ごと爆破して爆殺、これが1928年の張作霖爆殺事件です。この事件で日本に対して激しい怒りと憎悪の感情を抱いたのは張作霖の息子である張学良、張学良は父の後を継ぎますが、日本との関係決別のため内戦相手と手を組みました。

結局日本は内戦を利用した満州の支配に失敗。それどころか中国の内戦グループの勢力まで高めることになってしまい、こうなると満州を支配するにはもはや軍事行動を起こして支配するしか方法はありません。そんな日本にとって必要だったのは、軍事行動を起こすきっかけや理由でした。

仮に突然の軍事行動で満州を支配すれば各国から非難されるのは必至、軍事行動を起こすとなればそれなりの理由が必要になってくるのです。そこで日本は強引で卑劣とも言える自作自演による爆破事件を計画、それを中国の仕業に見立てて軍事行動を起こそうと考えました。

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当時中国で起こっていた内戦を利用して満州支配を計画した日本。しかしその計画は失敗、内戦利用のために支援した人物に見切りをつけて爆殺すると、今度は軍事行動を起こす口実作りのため自作自演の爆破計画を立てた。

リットン調査団結成のいきさつ ~満州国建国~

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柳条湖事件と満州事変の発生

1904年の日露戦争に勝利した日本は、日本の鉄道会社である南満州鉄道を満州に作ります。そして、その南満州鉄道を守るために派遣されたのが関東軍でした。1931年、関東軍が守っている南満州鉄道の線路の一部が爆破される事件が発生、これを柳条湖事件と呼びます。

柳条湖事件の犯人を中国軍と断定した関東軍ですが、実は関東軍による自作自演であり、関東軍は守るべき南満州鉄道を自ら爆破したのです。そして中国軍をその犯人と仕立てることで軍事行動の正当化が成立、つまり、柳条湖事件は関東軍が軍事行動を起こすための自作自演の事件でした。

1931年の柳条湖事件をきっかけに関東軍が軍事行動を起こしたのが満州事変、関東軍は次々と満州を占領していき、1932年の2月には満州全土の制圧に成功。関東軍主導の下、占領した地域の中国からの独立を宣言すると、関東軍はそこに満州国を建国したのです。

満州国を建国した関東軍

満州国の元首には清朝最後の皇帝だった溥儀を執政として立てますが、満州国の実態は日本の傀儡国家(かいらいこっか)。操ることを意味する「傀儡」の言葉から分かるとおり、名目上は独立した国であるものの、満州国の事実上の支配者は日本であり、権力を持つのは関東軍でした。

要人の爆殺、自作自演の爆破事件、軍事行動、満州国の建国……その一連の行動は日本政府の意思ではなく関東軍の完全なる暴走。実際、日本の内閣でも関東軍の暴走は手に負えず、事件発生当時の総理大臣だった若槻礼次郎は関東軍の制止を試み、次に総理大臣となった犬養毅も満州国の建国は認めませんでした。

しかし、さらにその次に総理大臣となった斎藤実は満州国の建国を承認して、日満議定書も締結させたのです。中国からすればそれは由々しき事態、自国に勝手に満州国を建国されたことに納得できるはずはなく、日本の行動を国際連盟に訴えます。そこで国際連盟が調査として送り込んだのがリットン調査団なのです。

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ようやくリットン調査団のキーワードが登場だ。満州事変で満州全土を制圧のち関東軍は満州国を建国。日本の総理もそれを認めたが、納得できないのは中国。国際連盟に日本を訴え、その調査を目的に結成されたのがリットン調査団だ。

リットン調査団の調査結果

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リットン調査団の報告

リットン調査団はまさに国際連盟が結成した団体に相応しく、相応のメンバーで成り立っています。団長の第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンはインドの総督を務めた経験があり、フランス陸軍の中将、イタリアの外交官、ドイツの国会議員、アメリカの軍人もメンバーとして参加しました。

さらにリットン調査団の調査観察のために日本の外交官と中国の外交官も関わっていて、1932年3月~1932年6月までの間を調査期間としたようです。リットン調査団は現地に赴き関係者からの話を聞くなどして調査、得た情報のすべてを確認して1932年の10月に作成した報告書を公表しました。

報告書の中でリットン調査団が述べたのは「独立は関東軍や日本関係者が計画・実行したものであり、日本の軍隊・役人の存在が無ければ満州国建国には至らなかった」ということ。さらに「そもそも満州国は中国の自発的な独立運動で誕生したものではない」と報告します。

「満州国を認めない」の結果

リットン調査団の報告はさらに続きます。「満州国の中には日本人の役人が多数存在する」、「中国人は満州国の政府を日本の手先と考えていて、満州国に対する支援のようなことは一切していない」などと報告。これが、リットン調査団が国際連盟臨時総会で発表した調査結果でした。

ただ、一方で日本に対する配慮と見られる報告もされたものの、日本の起こした軍事行動は侵略に該当すると結論付けたのです。要するに、リットン調査団の結論として日本の満州国建国は認められないとされ、発表の場である臨時総会内でもこれに対する採決がとられることになりました。

注目の採決の結果はリットン調査団の意見に賛成したのが42国、反対したのが1国、棄権したのが1国。圧倒的な賛成多数によりリットン調査団の意見が受け入れられ、国際連盟は満州国を認めないことを決定したのです。ちなみに反対した1国は日本、言い換えれば満州国を認めたのは日本だけでした。

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リットン調査団の調査対象は満州国。これを国と認める日本と認めない中国が争った末に結成されたものだ。調査結果は「満州国を国として認めない」と結論。国際連盟臨時総会に出席した日本以外の国がこの結論を支持した。

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