荘園、武士の誕生
墾田永年私財法が発令されたことにより、公地公民制は崩壊の道を辿っていきました。最も、元々は公地公民制に反対する農民への対策として制定されたのが墾田永年私財法ですから、公地公民制の崩壊は容易に想像できるでしょう。また、貴族や僧侶の私有地となる荘園が誕生しました。
そして、大規模な土地である荘園には護衛が必要となり、その護衛として誕生したのが武士なのです。将来訪れる武家政権の時代では主役の武士ですが、最初は荘園の護衛役を務めていたのですね。それにしても、この状況を良しとしなかったのが朝廷でした。
743年に発令した墾田永年私財法はあまりに加熱しすぎたことで765年に一次中断、寺社を除く一切の墾田私有が禁止となります。しかし772年には再び解禁、これは力を持つ藤原氏や寺院による圧力によるものと考えられており、どうやら完全な朝廷の意思ではなかったようです。
公地公民制の崩壊から荘園制へ
墾田永年私財法はその後の日本の歴史に大きく関連するものを数多く誕生させました。まずは荘園、これは墾田永年私財法によって貴族や僧侶が大規模な私有地を手に入れたのがきっかけで誕生しました。そして、その荘園を護衛するために武士が誕生します。
朝廷は公地公民制を破棄したことで新たな税の徴収方法を模索していきますが、そんな朝廷が目をつけたのが荘園でした。それは実現して、荘園制と呼ばれる制度が誕生することになります。そしてやがては荘園を直接支配する荘園領主や、荘園を開発する開発領主と呼ばれる支配者も生まれました。
ちなみに、公地公民制の時代に農民に貸し与えていた田を口分田と呼んでいましたが、墾田永年私財法が発令されてから開墾された土地は輸租田と呼ばれます。墾田永年私財法はこれだけ多くのものを誕生させるきっかけとなり、また貧富の差を生む要因にもなりました。
荘園や武士は墾田永年私財法の過程で誕生した!
墾田永年私財法を覚えるには、まずなぜこの法令が出されたのかを考えましょう。その答えはこれまでの公地公民制にあり、農民が土地を自分のものにできない不満から考えられたものです。
土地を自分のものにできない農民は農業を放棄、それが朝廷の財政悪化につながったため、その打開策として墾田永年私財法を制定しました。また、初めて荘園や武士が登場する点も要チェックですね。

