フランスフランス革命ブルボン朝世界史歴史

断頭台に消えた「マリー・アントワネット」を歴女がわかりやすく解説

4-4、結婚式の際の不吉な前兆

シュテファン・ツヴァイク著の「マリー・アントワネット」によれば、マリー・アントワネットは、結婚証明書にサインするときにペンをひっかけてしみを作ったということですが、ギー・ブルトン著「フランスの歴史を作った女たち」によると、ルイ15世の命令で1週間の祝賀記念行事が行われたが、祝祭の幕引きでルイ15世広場に集まった群衆を前にセーヌ川に花火が打ち上げられ、王太子と王太子妃の名前の頭文字の組み合わせ花火のときに、群衆が押し合いへし合いとなって、死者132名、負傷者数百名の大惨事が起きたそう。マリー・アントワネットはさすがに不吉な予兆を感じて自室に閉じこもって声をあげて泣き、ルイ15世が慰めたという話。

4-5、パンがなければお菓子をとは言わなかった

マリー・アントワネットが、フランス革命前の国民が貧困と食料難に陥ってパンがないと言われて、「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいじゃない」と言い、パンが手に入らないほど食糧難なのにお菓子があるわけないだろ、現実を把握していない呆れる発言とされた話は有名ですが、これはルイ15世の娘のヴィクトワール王女の発言とか、他の貴族や王女の発言として、ミートパイの皮を食べればいいじゃないと言った話も存在。

また、フランスではパン屋さんにパンがない場合、他のクロワッサンやブリオッシュなどを同等の値段で売るようにという法律があったから、という意味で言われたという説も。

しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明。ルソーが1766年頃に書いた「告白」では、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられなかったとき家臣に農民にはパンがないと言われて、それならブリオッシュを食べれば、とある大公夫人が答え話を思い出したという記事が載っていて、この話の有力な元ネタだそう。実際は、マリー・アントワネットをねたみ中傷を広めた貴族らの作り話ということで、マリー・アントワネットは飢饉の際に子供の宮廷費を削って寄付し、貴族達から寄付金を集めたりしたこともあるということ。

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なるほど、言ってないことも言ったことにされるのか、スキャンダルっておそろしいな

専制君主の家に生まれ、国家は私有財産的な感覚の名門出身のプライド高い女性

マリー・アントワネットはオーストリアのハプスブルグ王家に生まれ、14歳でフランスに嫁ぎ、18世でフランス王妃になったが、当時はまだ王権神授説が生きた絶対王政の時代で、マリー・アントワネットにとっては当然のような地位だったよう。しかしきちんとした教育を受け、知性や義務感をもっていれば、それなりに宮廷のリーダーとしての役割を果たし、国民に対しても、外国から嫁した自分を客観的に見て正しい対応が出来るはずが、子供の頃から5分と落ち着いて授業を受けられず、一冊の本も読んだことがないと言われ、偉大な母マリア・テレジアがいくら諭しても、言い訳ばかり上手にしていたそう。

夫のルイ16世も結婚当初からマリー・アントワネットには厳しく出来ない人だったようで、怒涛のフランス革命の時代に正しい道が選択ができるはずがなく、結局は断頭台に送られることになったのでした。

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angelica