
玉音放送
軍の武装解除、戦争責任者の引き渡し、いずれも昭和天皇にとって望むことではありません。しかし既に戦争に勝機はなく、国民を救うためには致し方ないというのが昭和天皇の考えでした。そのため「天皇の地位存続」を条件にしてポツダム宣言受諾を正式に決定、同日終戦が発表されたのです。
日本政府は国民に対して戦争の敗北、ポツダム宣言受諾による降伏を伝えますが、それは昭和天皇が直接国民に語りかけるという異例中の異例とも言える形で放送が流れました。戦前までこのような放送が流されたことは一切なく、この放送は玉音放送と呼ばれています。
ちなみに、ポツダム宣言では日本の無条件降伏が要求されましたが、日本は「天皇の地位存続」という条件を出しました。これについて補足すると、ポツダム宣言における無条件降伏は軍隊を対象に出されたもので国家を対象としておらず、そのため「天皇の地位存続」というのは条件にあたらないと解釈されています。
ヤルタ会談での密約
ポツダム宣言は、1945年の7月にドイツのポツダムにて話し合いの結果生まれたものです。しかし、実はそれ以前となる1945年の2月にヤルタ会談と呼ばれる話し合いが行われており、ここではやはり枢軸国の敗戦後の処理が議題となっていました。
最も、この時はポーランドについての話し合いが大半でしたが、このヤルタ会談にてソ連の対日参戦が秘密裏に決定されていたのです。この秘密の決定はヤルタ協定と呼ばれ、ソ連の対日参戦を強く望んだのはアメリカでした。ただ、ソ連は日本と日ソ中立条約を締結させている立場です。
そこでアメリカはソ連に対して樺太全土の領有を認めるなどの好条件を提示、ソ連のスターリンはそれに応じて対日参戦を約束。絶妙のタイミングでソ連が日ソ中立条約を破棄して攻め込んできたことには、実はこのような秘密のいきさつがあったのです。
「聖断」と「玉音放送」は重要なキーワード!
ポツダム宣言は受諾の決断に至るまでの過程が長く、実際にそれが原爆投下の悲劇を生んだと言っても過言ではありません。ですから、覚える際もポツダム宣言受諾までの流れはしっかり理解しておきましょう。
また、その流れの中に登場する「聖断」は重要なキーワード、これは天皇の決断を意味する言葉です。さらに同じ天皇に関連したことで言えば、国民に降伏を伝えた玉音放送(ぎょくおんほうそう)も覚えておきましょう。