日本史昭和歴史

国境を巡るソ連との衝突「ノモンハン事件」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日はノモンハン事件について勉強していくぞ。1939年、日中戦争を繰り広げるさなかに起こったのがノモンハン事件で、この事件は日本とソ連の軍事衝突のことを意味する。

同年に第二次世界大戦が起こり日本はソ連を警戒するが、その理由もハッキリと分かる事件だ。そこで、今回はノモンハン事件について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」からノモンハン事件をわかりやすくまとめた。

目まぐるしく変わるモンゴルの国境情勢

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外モンゴルの独立

1900年頃のこと、現在モンゴルや内モンゴル自治区と呼ばれる地域は、中国の清朝が統治していました。そして、清朝は広大なモンゴルの地をゴビ砂漠を境に2つに分け、それぞれ内モンゴルと外モンゴルに区別していたのです。そんな中、これまでおよそ300年続いた清朝が滅亡する革命が起こります。

その改革とは1911年の辛亥革命、清朝は滅び、そして誕生したのが中華民国でした。ここでモンゴルに動きが起こり、これまで統治してきた清朝が滅亡したことを理由に、外モンゴルで独立を求める運動が起こるようになったのです。しかも、外モンゴルにはソ連という強力な後ろ盾がついていました。

その結果見事に独立を果たした外モンゴル、モンゴル人民共和国という国となって新たな歴史を築きます。一方の内モンゴルにこのような動きはなく、そのため内モンゴルは中華民国が領土とするようになり、内モンゴルと外モンゴルの区分けは中華民国とモンゴルの国境へと変わりました。

満州国とモンゴルの国境

「区分」と「国境」、これは意味合いが全く変わってきます。清朝が統治していた頃は単にモンゴルを2つに分けただけの「区分」、しかし清朝滅亡によって外モンゴルが国家となったため、区分けするだけの区分ではなく国の境目となる「国境」へと変わったのです。

とは言え、この国境は元々区分でしたから国境らしい取り決めは特になされておらず、これが後に大きな問題を引き起こすのでした。時は過ぎて1931年、日本の関東軍による満州事変によって日本は翌1932年に満州国を設立、これによって内モンゴルは満州国の一部となります。

そうなると再び変わってくるのが国境で、満州国設立によって中華民国とモンゴルの国境が改められ、満州国とモンゴルの国境になったのです。また、それぞれの国には後ろ盾がついており、満州国には日本という後ろ盾が、モンゴルにはソ連という後ろ盾が存在していました。

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モンゴルを区分けした清朝が滅亡したため、区分けされていた外モンゴルが独立。これによって区分けは国境へと変わる。さらに日本の満州国設立によって国境の状態が変わり、中華民国とモンゴルの国境は満州国とモンゴルの国境へと変化した。

張鼓峰事件の発生

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