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5分で分かる!宗教改革を行った「ルター」を歴女が徹底わかりやすく解説!

1-4 修道院生活を送ることに

修道院での生活はとても質素なもの。当時の修道院の生活は、清貧、貞操、服従が理想とみなされていました。ルターはより自分をストイックに追い込み修道院生活に励むように。1507年には司祭となることに。しかしルターはいくら正しく生きていても神を満足させているかどうか確信が持てずにいました。そんな中初めてミサを挙げた際に、ルターが神に呼び掛ける場面が。彼はそんな自分が神に対して呼び掛けることは恐れ多いと感じ、聖壇を下りようとしたエピソードがあります。

1-5 大学教授として教鞭を取る

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その後彼はヴィッテンベルク大学の教授となります。そして修道院からそこで神学研究をするように命じられることに。彼は学生らに講義をする中で聖書の一説で説明するのに窮することがありました。

聖書の一説に「あなたの義によって私を解放してください」という文言に混乱することに。この一説は分かりやすく言うと神の義によって人間に救いをもたらすという意味。しかしこれまでの解釈では、神の義とは怒りや裁きという意味とされてきました。ここからルターは、神の義とは神からの恵みであり、それは何かというとイエス・キリストであると考えるように。つまり神は義としてイエス・キリストを人々へ送り、義(イエス・キリスト)を送られた人々は救われると考えるように。この考えは塔の体験と呼ばれています。

2 教会の腐敗と宗教改革

落雷に遭い、修道院の門を叩いたルターはその後司祭となり、更には大学教授となることに。しかし時を同じくしてローマ教会はドイツで免罪符を販売するようになりました。この経緯やルターの宗教改革の動きについて詳しく見ていきましょう。

2-1 ドイツでの免罪符販売

ルターが教鞭を取っていた頃、ドイツではローマ教会によって免罪符が販売されるようになりました。ところで免罪符とは一体なんでしょうか。免罪符とは贖宥状とも呼ばれ、人の罪や落ち度などを免れることができるという証明書レオ10世聖ピエトロ大聖堂の修築費用として国家として統一されていなかったドイツに目をつけ、民衆らからお金を巻き上げるように。このような状況は「ローマの牝牛」と揶揄されることに。

2-2 搾取されるドイツ

具体的にドイツではどのように免罪符が販売されることになったのでしょうか。ブランデンブルク選帝侯の弟で野心家のアルブレヒト大富豪フッガー家からお金を借りて聖ピエトロ大聖堂の修築費用の寄進を行いました。しかし実はこの寄進は他の目的が。アルブレヒトは3つの司教区の大司教の兼任するための献金、お金を貸したフッガー家は免罪符の販売許可を得るためでした。ちなみにこの時得た販売許可は貸した額の2倍になったそう。こうしてフッガー家はドミニコ会の修道士、ヨハン・テッツェルに販売を委託。彼は民衆に対して免罪符を売り歩くことに。これに対してルターは、免罪符を売るためなら民衆の不安に付け込むやり方に疑問を持つことに。こうして彼は動き出しました。

2-3 ルターが95カ条の論題を出す

1517年にルターが95か条の論題を城教会の門に貼りだしたことで宗教改革が始まった、とされている。
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ルターはヴィッテンベルクの教会の扉に95カ条の論題を貼り付けることに。ちなみに当初ルターは教会の腐敗が許せずにこのような行動を取ったわけではありません。ルターは免罪符自体を否定しておらず、これがどれほどの効力があるのかを神学討論によって明らかにしたいと考えていたのです。論題はラテン語で書かれていましたが、すぐにドイツ語に訳され人々に浸透していくことに。こうしてルターを支持派と反対派が出てくることに。

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