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5分で分かる!宗教改革を行った「ルター」を歴女が徹底わかりやすく解説!

よぉ、桜木建二だ。今回はルターについてだ。

ルターと言えばドイツで宗教改革を行ったことで有名だよな。でも具体的にはどんなことをしたのだろうか?そこで今回はヨーロッパ史に詳しい歴女のまぁこと一緒に彼が行った宗教改革や彼の生涯について解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。中でもハプスブルク家やブルボン家など王室に関する書物を愛読中!今回は16世紀にドイツで宗教改革を行ったマルティン・ルターについて詳しく解説していく。

1 ルターの幼少期

image by iStockphoto

宗教改革を行った人物として知られるルター。彼は一体どんな幼少期を過ごしたのでしょうか。それでは詳しく見ていきましょう。

1-1 敬虔なカトリック教徒だったルター

ルターはアイスレーベンという町で誕生。父はドイツ中部のテューリンゲン地方のメーラ村出身の農家でした。父ハンス・ルダーは隣のザクセン地方で銅鉱夫から出世し、町でも有名な実業家となることに。こうした父の背をみて育ったからでしょうか。マルティン・ルターも父のように上昇志向を志すように。父からの期待を一身に背負ったルターは、わずか5歳から教会付属学校に通ってラテン語の勉強をすることに。その後いくつかの学校へ通うことになりますが、いずれも彼は成績優秀。そして父が夢見たエルフルト大学への入学を決めることに。ちなみにエルフルト大学の入学記録には「マンスフェルト出身のマルティヌス・ルダー」と残ってありこれがルターに関する初の公式記録でした。

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ルターの幼少期はかなり優秀な人物だったんだな。当時の慣習では父や祖父の後を継がせることが普通であったのに対し、ハンスはルターに熱心な教育を施し法律家にしようと考えていたんだ。ちなみにここでのルターの名前の表記はルダーが正しいんだ。その後彼が破門された後にルダーからルターと名乗るようになっていくんだ。便宜上ここではルターと統一して表記していくぞ。

1-2 法律家になるため大学へ

さてエルフルト大学での生活はどんなものだったのでしょうか。この大学の大学生の生活はほぼ修道士のようなものでした。起床は4時、昼には3つの講義とそれに関する演習を行い、霊性の訓練や20時になると就寝という規則に従う生活に。ルターは1501年には最短で教養修士となり、学士ガウンを着るように。このようなルターの成績に対し父は「学士様になったのだからお前ではなくあなたと呼ばないと」と言ったそう。

その後は修士となると、神学部、法律学、医学部の中から選択して学ぶことに。もちろんルターは父の希望に従って法律学を専攻。ちなみに当時の大学の様子はヨーロッパ各地から集まった人々の交流の場にもなっており、ルターはそこで「哲学者」というあだ名がつくことに。彼は音楽が好きでリュートと呼ばれるギターのような楽器をよく演奏していたそう。

1-3 落雷に遭い運命が変わる

一時帰省してその後大学で戻る途中だったルターでしたが、彼は落雷に遭うことに。その時死の恐怖に直面し思わず「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります。」と叫んだという。ちなみに当時の人々は聖人たちを介して神に祈りを捧げることが普通。ルターの場合は彼や父、鉱山で働く人物らの守護聖人が聖アンナでした。こうして落雷から2週間後に彼はアウグスティヌス隠修修道会戒律厳守派の門を叩き入門することに。この知らせを聞いたハンスは激怒して息子を連れだそうとしましたが、友人らの説得によって思いとどまることに。

\次のページで「1-4 修道院生活を送ることに」を解説!/

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