ルターと言えばドイツで宗教改革を行ったことで有名ですね。でも具体的にはどんなことをしたのでしょうか?そこで今回はヨーロッパ史に詳しい歴女のまぁこと一緒に彼が行った宗教改革や彼の生涯について解説していきます。
- 1 ルターの幼少期
- 1-1 敬虔なカトリック教徒だったルター
- 1-2 法律家になるため大学へ
- 1-3 落雷に遭い運命が変わる
- 1-4 修道院生活を送ることに
- 1-5 大学教授として教鞭を取る
- 2 教会の腐敗と宗教改革
- 2-1 ドイツでの免罪符販売
- 2-2 搾取されるドイツ
- 2-3 ルターが95カ条の論題を出す
- 2-4 アウクスブルク審問
- 2-5 ライプツィヒ討論
- 2-6 ルター、破門される
- 2-7 ウォルムス喚問に呼ばれるルター
- 2-8 ザクセン選帝侯に助けられる
- 3 ルターの布教活動
- 3-1 聖書を重点的に
- 3-2 その他の宗派
- 3-3 ルターとドイツ農民戦争
- 神と向き合ったルターが起こした宗教改革
この記事の目次
ライター/まぁこ
ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。中でもハプスブルク家やブルボン家など王室に関する書物を愛読中!今回は16世紀にドイツで宗教改革を行ったマルティン・ルターについて詳しく解説していく。
1-1 敬虔なカトリック教徒だったルター
ルターはアイスレーベンという町で誕生。父はドイツ中部のテューリンゲン地方のメーラ村出身の農家でした。父ハンス・ルダーは隣のザクセン地方で銅鉱夫から出世し、町でも有名な実業家となることに。こうした父の背をみて育ったからでしょうか。マルティン・ルターも父のように上昇志向を志すように。父からの期待を一身に背負ったルターは、わずか5歳から教会付属学校に通ってラテン語の勉強をすることに。その後いくつかの学校へ通うことになりますが、いずれも彼は成績優秀。そして父が夢見たエルフルト大学への入学を決めることに。ちなみにエルフルト大学の入学記録には「マンスフェルト出身のマルティヌス・ルダー」と残ってありこれがルターに関する初の公式記録でした。
1-2 法律家になるため大学へ
さてエルフルト大学での生活はどんなものだったのでしょうか。この大学の大学生の生活はほぼ修道士のようなものでした。起床は4時、昼には3つの講義とそれに関する演習を行い、霊性の訓練や20時になると就寝という規則に従う生活に。ルターは1501年には最短で教養修士となり、学士ガウンを着るように。このようなルターの成績に対し父は「学士様になったのだからお前ではなくあなたと呼ばないと」と言ったそう。
その後は修士となると、神学部、法律学、医学部の中から選択して学ぶことに。もちろんルターは父の希望に従って法律学を専攻。ちなみに当時の大学の様子はヨーロッパ各地から集まった人々の交流の場にもなっており、ルターはそこで「哲学者」というあだ名がつくことに。彼は音楽が好きでリュートと呼ばれるギターのような楽器をよく演奏していたそう。
1-3 落雷に遭い運命が変わる
一時帰省してその後大学で戻る途中だったルターでしたが、彼は落雷に遭うことに。その時死の恐怖に直面し思わず「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります。」と叫んだという。ちなみに当時の人々は聖人たちを介して神に祈りを捧げることが普通。ルターの場合は彼や父、鉱山で働く人物らの守護聖人が聖アンナでした。こうして落雷から2週間後に彼はアウグスティヌス隠修修道会戒律厳守派の門を叩き入門することに。この知らせを聞いたハンスは激怒して息子を連れだそうとしましたが、友人らの説得によって思いとどまることに。
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