町人の意見や役人の不正を知るための目安箱
大規模な改革も見当はずれのことをしてしまえば逆効果、また不正や悪行を働く者がいればいくら改革で改善しても無意味です。そこで吉宗はこうした問題を解消するために目安箱を設置します。これまでは町人が幕府に意見する機会などなく、そのため町人が何を求めているのかを知ることはできませんでした。
目安箱を設置したことで町人は政治への意見箱として活用し、さらに役人の不正や悪行を報告するようになります。実は大岡忠相が行った町火消の整備もこの目安箱に投書された意見を参考にしたもので、他には無料の医療施設を設置した小石川養生所も目安箱の意見から行われました。
さて、足高の制や目安箱は有能な人材の登用や町人の要望を知る効果をもたらしましたが、享保の改革の要となるのはあくまで財政難の解決。吉宗は安定した税収を得るための政策を次々を打ち出していきます。その中には成功したものもあれば、一方で失敗してすぐに撤回されたものもありました。
支出を減らすための倹約令
では、享保の改革における財政再建のための政策を一つずつ見ていきましょう。まずは倹約令、要するに「無駄遣いを止めて節約しましょう」と定めた法令です。利益を増やすには収入を増やすのはもちろん大切ですが、同時に支出を減らすことも大切ですね。
そもそも、赤字というのは支出が収入を上回ってしまうために起こるもので、そのため吉宗は支出を減らすことを考えました。そこで行ったのが倹約令、言わば質素倹約の制度化ですが、ただむやみにこれを求めたわけではなく、身分相応を強調したものになります。
と言うのも、仮に幕府や大名まで極端な節約をしてしまえば世の中で商売が成り立たなくなり、そうなるとむしろマイナスの経済効果となってしまうからです。ちなみに、享保の改革以降は寛政の改革と天保の改革が行われますが、いずれの改革においても倹約令は採用されています。
収入増加の政策・新田開発の解禁、定免法、上げ米の制
倹約令で支出を抑えた吉宗は、収入の増加も考えます。まず新田開発の解禁で、これまでは勝手に土地を耕されると困るという理由から、町人や代官による新田開発を規制してきました。しかし米の収穫量を増やすためにこれを解禁、町人に開発された新田を町人請負新田、代官に開発された新田を代官見立新田と呼びます。
次は年貢の税率の見直しです。米はその年の気温や気候によって収穫量が変動、そして収穫量に応じて税率が決まるため、幕府からすれば年貢の徴収が不安定でした。そこで吉宗は税率の基準を検見法から定免法へと変更、具体的には税率を変動させるのではなく一定にさせたもので、定額の「定」の文字がついていることから想像できますね。
また、一定期間になりますが上げ米の制を発令。これは大名に対して定められた税になります。石高1万石につき100石の米を税をして徴収、ただこれでは大名の負担が一方的に増えてしまうため、見返りとして参勤交代を半減させました。これも一定の成果があったとされています。
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混乱と暴動で早々に撤回された質流れ禁令
享保の改革の中には明らかに失敗したものもあり、真っ先に挙がるのが質流れ禁令でしょう。ちなみに、流地禁止令や質流地禁止令と呼ばれることもあります。質流れ禁令とは農民の田畑の質流れを禁止する法令で、当時生活に困った農民は田畑を質に入れてお金を借り、返済できない場合は田畑が質流れしていました。
そうなると農民の田畑は没落してしまい、そんな事例が増加すればするほど農業生産量は低下してしまいます。それを防ぐための質流れ禁令でしたが、発令される以前のケースにおいてもルールを定めてしまったため余計に混乱。質地騒動と呼ばれる暴動が起きる始末になってしまいます。
中には徳政令と勘違いした農民も多く、明らかな失敗となった質流れ禁令は翌年早々に撤回されました。そもそも、田畑の質入れは1643年の田畑永代売買禁止令による田畑の売買禁止によって増加した問題でしたが、なぜかこの田畑永代売買禁止令においては明治時代になるまで廃止されていません。
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