真珠湾攻撃の奇襲で優勢に立つ日本、それが一転してアメリカ優勢になったきっかけがミッドウェー海戦です。今回はミッドウェー海戦について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。
ライター/リュカ
元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」からミッドウェー海戦をわかりやすくまとめた。
守勢に苦しむアメリカ軍の打開策
1941年の真珠湾攻撃で開戦した日本とアメリカの太平洋戦争、日本の奇襲でアメリカに大ダメージを与えますが、その時アメリカ軍基地には空母が不在。撃墜し損ねたアメリカ軍の空母とは後に戦うことになり、それがハワイの北西に位置するミッドウェー島付近で行われた1942年のミッドウェー海戦です。
真珠湾攻撃を成功させた日本は、日本軍潜水艦を使ってアメリカに対して通商破壊作戦を行っていました。「通商破壊」とは通商物資や人を乗せた商船を攻撃し、海運による物資の輸送を妨害することです。アメリカ西海岸付近の商船を攻撃する日本軍、さらには沿岸の石油施設も攻撃の対象としていました。
守勢一方となるアメリカ軍は、士気低下を懸念して攻勢に回るべく日本本土への空襲を計画します。しかし計画実行は容易ではなく、なぜなら爆撃機が爆弾を積んだ状態で飛行できる距離はそれほど長くなく、日本本土を空襲するにはそれなりに日本に近づく必要があったからです。
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ドーリットル空襲
日本本土を空襲するためには日本に近づく必要があり、しかし日本に近づけば日本軍に発見されて撃墜されてしまう……そこでアメリカ軍は策を練りました。海軍の爆撃機のように直接の空母への離着艦はできなくなりますが、爆弾を積んでも長距離移動ができる陸軍の爆撃機を使うことにしたのです。
空母に積むにはクレーンが必要になるなどの手間や時間はかかりましたが、敢えて陸軍の爆撃機を使うこの作戦は成功。日本本土への空襲が行われ、これをドーリットル空襲と呼びました。これは当時の指揮官だったジミー・ド―リットル中佐の名前が由来になっています。
一方の日本軍、空襲による被害そのものは深刻でなかったものの、日本本土にアメリカ軍機が侵入した事実、そして空襲された事実によるショックは大きく、防衛体制の早急な強化が求められました。そこで日本はドーリットル空襲以前から検討されていたMI作戦を採用して対処しようとします。
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