今日は第二次世界大戦について勉強していきます。1939年、ドイツがポーランドへと侵攻したことがきっかけで世界の国々は戦争に巻き込まれ、それは第二次世界大戦と呼ばれた。

日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・ソ連などの連合国との間で起こった人類史上最大の戦争。今回は第二次世界大戦について世界史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から第二次世界大戦をわかりやすくまとめた。

第二次世界大戦前のドイツとイタリア

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世界恐慌に苦しむドイツとイタリア

第一次世界大戦で敗北したドイツは領土を失い、さらに巨額の賠償金が請求されました。それに追い打ちをかけるようにして起こった世界恐慌、これに対してアメリカはニューディール政策、イギリスやフランスはブロック経済政策で乗り切ろうとします。

これらの政策は自国、植民地、自治領の間だけで貿易を行うというもので、他国からの輸入は税金を高くかけて防ぎ、自分達に関わる国だけで経済の交流を活性化させるのが狙いでした。この仕組みから分かるとおり、これは植民地や自治領が多ければ多いほど効果的な政策です。

逆に、植民地を持たない国からすれば輸出品に高い税金をかけられることで貿易悪化が加速、そして当時植民地を持っていなかったのがドイツとイタリアでした。ドイツは第一次世界大戦によって領土を失っていますし、イタリアは勝利したとは言え、領土を得たわけではなかったからです。

ヒトラーとムッソリーニの出現

こうして危機的状況に陥るドイツとイタリア、しかし両国にはカリスマ性を持つリーダー的人物が現れます。ドイツに現れたのはヒトラー、イタリアに現れたのはムッソリーニ、彼らは独裁政治による軍事力増強と海外進出を思想とするファシズムの考えの持ち主でした。

そこでまず行動を起こしたのがドイツ、1937年に東方への拡大政策を宣言したヒトラーは翌年にオーストリアを併合。さらにチェコスロバキアに対してズデーテン地方を領土として渡すよう要求します。ドイツの要求は、イタリアの仲介によって開かれたミュンヘン会議にてドイツ・イタリア・フランス・イギリスで議論されました。

フランスとイギリスが会議に参加したのは、これらの国がチェコスロバキアの後ろ盾になっていたためですが、結果的にドイツの要求が通ることになったのです。フランスとイギリスの思わぬ柔軟な態度に味を占めたドイツ、今度はチェコスロバキアに対してさらなる要求をするのでした。

1939年 第二次世界大戦の勃発

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\次のページで「ポーランドに要求するドイツ、ポーランドを守るフランスとイギリス」を解説!/

ポーランドに要求するドイツ、ポーランドを守るフランスとイギリス

1939年のこと、ドイツはチェコスロバキアに対して今度はチェコスロバキアの国自体の解体に乗り出します。工業の発展が目覚ましいチェコスロバキアは軍事力を高める上で絶好の国、ファシズムの思想を掲げるドイツとしては、喉から手が出るほど欲しかったのでしょう。

こうして、ドイツはチェコスロバキアの解体に成功して西部のチェコを併合、東部のスロバキアを保護国に置きました。そして、次にドイツが狙いを定めたのがポーランド、何しろドイツは第一次世界大戦の敗戦時に領土を取られていますから、それを返還するように要求したのです。

一方のポーランドはそんなドイツの要求を断固拒否。両国が対立する中、ミュンヘン会議で不覚をとったフランスとイギリスが動きます。イフランスとイギリスはポーランドに対して安全保障条約を締結、それはフランスとイギリスがドイツと戦う覚悟を決めた瞬間でもありました。

第二次世界大戦の勃発

その頃、ドイツと共にファシズムの思想を掲げるイタリアも行動を起こしており、アルバニアを併合して領土の拡大を成功されていました。さて、フランスとイギリスの行動に対して悩むドイツ、戦争を始めると思いきや、意外にもソ連と手を組むことにしたのです

そもそもドイツの場所はフランス、イギリス、ソ連の間に位置しており、仮にフランス・イギリスを戦争を起こした場合にソ連を敵に回してしまうと完全に挟み撃ち状態。一方のソ連も、ドイツを敵に回してしまうと警戒中の日本と挟み撃ち状態になってしまうため、手を組むことはお互いにとって有益なのでした。

早速ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を締結させ、お互いの領土を攻めないことを決めます。これでソ連を怖れることなく戦争できるドイツはポーランドへの侵攻を開始、これに対してフランスとイギリスは安全保障条約に基づいてドイツに対して宣戦布告、こうして1939年に第二次世界大戦が勃発したのです。

ドイツの快進撃

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フランスの降伏とイタリアの参戦

フランスとイギリスの宣戦布告に怖れないドイツ、ポーランドに侵攻した早々占拠に成功します。さらに手を組んだソ連もポーランドを攻め、ポーランドの西側をドイツ、東側をソ連が支配しました。さらにドイツはデンマークとノルウェーにも侵攻、その後はベルギーへ、さらにその後はフランスも降伏させる勢いを見せます。

まさに快進撃が続くドイツ、この様子を見たイタリアもドイツ側について第二次世界大戦への参戦を表明、これで危ない立場となったのがイギリスでした。既にフランスを降伏させて占領したためドイツはイギリスの本土に対する空爆も可能、イギリスからすれば周囲の国が敵だらけの状態になってしまったからです。

スイスやスペインなどは中立的な立場を取っていたため味方とは言えず、フランスが降伏してドイツとソ連に囲まれたイギリスは完全に不利でしょう。一方その頃、第二次世界大戦が起こる前に戦争を始め、未だなおその戦争を続けている国がありました。それは日本と中国です。

日独伊三国軍事同盟の締結

1937年、日本と中国は日中戦争を起こし、その戦争は第二次世界大戦が始まっても続いているほど長期化していました。小さな島国である日本の軍事力は長期戦には向いておらず、そのため日本は現状打破を目的にドイツ・イタリアと同盟を結ぼうと考えます。

同盟はあっさりと締結、1940年に日独伊三国軍事同盟を締結させました。快進撃を続けるドイツ、そのドイツの勢いに惹かれてドイツ側として参戦したイタリア、日中戦争の長期化打破のためにドイツ・イタリアと同盟を結んだ日本……三国は勝利の未来が見えていたに違いありません。

しかし1941年、三国にとって戦況が一変しかねない出来事が起こりました。それは、これまで中立の立場をとって静観していたアメリカがイギリスに援助を始めたことです。これで力を得たのが当然イギリス、アメリカという強力な味方を得たことで、空爆を続けるドイツ軍に対抗できるようになりました。

\次のページで「アメリカの参戦」を解説!/

アメリカの参戦

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太平洋戦争の勃発

アメリカがイギリスに援助したことで、ドイツはイギリス攻略に苦戦します。空爆を続けるもののドーバー海峡における制空権は奪えず、業を煮やしたドイツは1941年6月、意外にも条約を結んだソ連に対しての侵攻を始めました。ドイツの狙いはソ連の石油資源、一方的に独ソ不可侵条約を破棄してソ連を攻めたのです

ドイツの強さは健在でモスクワあたりまで侵入しますが、ソ連の反撃もまたすさまじく、気温の寒さも影響してドイツはあと一歩のところで苦戦を強いられてしまいます。さらに1941年12月、日中戦争のさなかにアメリカと対立した日本が真珠湾攻撃の奇襲をかけて太平洋戦争が勃発しました。

日本とアメリカの太平洋戦争、これによって日本との同盟を締結させていたドイツ、イタリアもこれによってアメリカに宣戦することになります。これで「日本・ドイツ・イタリア」対「アメリカ・フランス(降伏)・イギリス・ソ連」の第二次世界大戦の図式が成立しました。

ドイツ、イタリアの降伏

真珠湾攻撃の奇襲で先制した日本でしたが、翌1942年になるとアメリカとの軍事力の差が明確に出るようになり、ミッドウェー海戦では主力の空母を失った上に敗北。さらにサイパンやグアムも失ってしまい、これによって日本の本土が空爆されて追い詰められていきました。

一方のドイツは、ソ連を裏切って侵攻したものの、第二次世界大戦における最大の攻防戦とされるスターリングラードの戦いで敗北。これまで快進撃を続けたドイツも、この敗北でとうとう敗走します。さらにイタリアはアメリカとイギリスの連合国に上陸されたことで降伏、ムッソリーニは失脚しました。

アメリカの援助によって一変して優勢になった連合国、1944年には100万人もの軍を投入してドイツ軍排除のためにフランスへと上陸。第二次世界大戦開戦直後にフランスを占領して降伏させたドイツでしたが、連合国の激しい攻めに対抗できずパリを解放、そしてヒトラーは自殺してドイツも降伏しました。

\次のページで「第二次世界大戦の終わり」を解説!/

第二次世界大戦の終わり

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ポツダム宣言を黙殺した日本への原爆投下

ドイツとイタリアが降伏したことで、枢軸国で残るのは日本のみ。しかもドイツがソ連を攻めたことでソ連もまた敵に等しく、日本は絶体絶命の窮地に立たされていました。最も、連合国側は戦争の勝利を確信して第二次世界大戦後の戦後処理についての会議を行います。

現状日本と戦争状態にあるのは第二次世界大戦のアメリカ・イギリスの連合国、さらに日中戦争が未だ続く中国でした。そこで、これら3か国の共同声明としてポツダム宣言を発表、ポツダムとは、ドイツのベルリン近郊にある街の名前がそのままつけられたものです。

ポツダム宣言とは日本に対する無条件降伏を要求したもので、そこには13か条からなる条文が記されていました。しかし日本はこれを黙殺、降伏しない日本に対してアメリカは原子爆弾を広島と長崎へと投下、空爆による爆撃を遥かに上回るその被害に、日本はポツダム宣言を受け入れて降伏したのです。

第二次世界大戦後の対立

最後に残っていた日本が降伏したことで第二次世界大戦は終了、それは1945年の8月のことでした。また日本にとってポツダム宣言の受諾は同時に日中戦争の敗北も意味したのです。最も、第二次世界大戦が終わってすぐに世界に平和が戻ったわけではありません。

戦後処理の会議においてアメリカとソ連が対立してしまい、それがきっかけとなって戦後はアメリカとソ連の両陣営による東西冷戦が続きます。これは冷たい戦争とも呼ばれるもので、アメリカとソ連は直接戦争を行わず、代理戦争という形で介入したのみだったため冷たい戦争……すなわち冷戦と呼ばれました。

代理戦争として挙げられるのは朝鮮戦争やベトナム戦争。この冷戦が終わるのは1989年のことで、第二次世界大戦が終わってからも世界は緊迫状態が続いており、平和が戻るのはまだまだ先のことでした。ドイツのポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦は、日本の降伏で終わりを迎えたのです

枢軸国と連合国の対立の図式を理解しよう!

第二次世界大戦のポイントは、「日本・ドイツ・イタリア」対「アメリカ・イギリス・フランス・ソ連」の対立の図式を理解することです。これが分かれば、第二次世界大戦自体を理解しやすくなるでしょう。

それには第二次世界大戦が起こる以前の世界情勢を知る必要があり、特にドイツに注目することで対立の図式の大半が理解できます。つまり戦争そのものではなく、戦争が起こった原因をまず覚えると良いですね。

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世界を巻き込んだ人類史上最大の戦争「第二次世界大戦」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

今日は第二次世界大戦について勉強していきます。1939年、ドイツがポーランドへと侵攻したことがきっかけで世界の国々は戦争に巻き込まれ、それは第二次世界大戦と呼ばれた。

日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・ソ連などの連合国との間で起こった人類史上最大の戦争。今回は第二次世界大戦について世界史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から第二次世界大戦をわかりやすくまとめた。

第二次世界大戦前のドイツとイタリア

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世界恐慌に苦しむドイツとイタリア

第一次世界大戦で敗北したドイツは領土を失い、さらに巨額の賠償金が請求されました。それに追い打ちをかけるようにして起こった世界恐慌、これに対してアメリカはニューディール政策、イギリスやフランスはブロック経済政策で乗り切ろうとします。

これらの政策は自国、植民地、自治領の間だけで貿易を行うというもので、他国からの輸入は税金を高くかけて防ぎ、自分達に関わる国だけで経済の交流を活性化させるのが狙いでした。この仕組みから分かるとおり、これは植民地や自治領が多ければ多いほど効果的な政策です。

逆に、植民地を持たない国からすれば輸出品に高い税金をかけられることで貿易悪化が加速、そして当時植民地を持っていなかったのがドイツとイタリアでした。ドイツは第一次世界大戦によって領土を失っていますし、イタリアは勝利したとは言え、領土を得たわけではなかったからです。

ヒトラーとムッソリーニの出現

こうして危機的状況に陥るドイツとイタリア、しかし両国にはカリスマ性を持つリーダー的人物が現れます。ドイツに現れたのはヒトラー、イタリアに現れたのはムッソリーニ、彼らは独裁政治による軍事力増強と海外進出を思想とするファシズムの考えの持ち主でした。

そこでまず行動を起こしたのがドイツ、1937年に東方への拡大政策を宣言したヒトラーは翌年にオーストリアを併合。さらにチェコスロバキアに対してズデーテン地方を領土として渡すよう要求します。ドイツの要求は、イタリアの仲介によって開かれたミュンヘン会議にてドイツ・イタリア・フランス・イギリスで議論されました。

フランスとイギリスが会議に参加したのは、これらの国がチェコスロバキアの後ろ盾になっていたためですが、結果的にドイツの要求が通ることになったのです。フランスとイギリスの思わぬ柔軟な態度に味を占めたドイツ、今度はチェコスロバキアに対してさらなる要求をするのでした。

1939年 第二次世界大戦の勃発

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