室町時代戦国時代日本史歴史

名家佐竹家を大きく発展させた「佐竹義重」を戦国通サラリーマンが徹底解説

よぉ、桜木建二だ。戦国時代で戦を行うにあたり武器が無ければ勝ち目が無いのは当然ではあるが、武器を揃えるにも現代と同様で巨額のお金が必要だったようだな。お金にする物の価値が高かった金は鉱山から発掘し商人に売ることで財力を保ちつつ武器などを変えそろえていたようだ。金が発掘できる場所は戦国時代には多数あったようで名だたる大名達が鉱山開発に力を入れていたようだ。

今回は鉱山開発を行うとともに自国で最新の冶金技術を導入して、金を手に入れて軍事力を高めていた佐竹義重を歴史マニアで歴史ライターのwhat_0831と一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/what

平安時代から続いていた名家であり父の佐竹義昭と一緒に佐竹家を急成長させた義重の生涯を解説していく。

常陸国の佐竹家に誕生

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関東領でも奥州に近かった常陸国で義重は誕生していきました。

義重の幼少時代

天文16年1547年に3月7日に佐竹義昭と十五代岩城家当主だった岩城重隆の娘との間に長男として生まれてきました。幼名は義昭と同様で徳寿丸と名付けられていたようで幼少の頃の様子が、あまり残されていないためはっきりとは分かっておりません。

この頃の佐竹家は義昭が勢力拡大をしつつある状況だったため、隣国の大名達との戦であまり城には居なかったと思われます。戦国時代では決して珍しくはありませんが義重も父と接する機会は、極めて少なかったでしょう。

義重が誕生する前の1545年時点では義昭は、常陸国の北部を支配する大名だったようです。

父と同じくらいの年齢で家督を継ぐ

常陸北部を支配していましたが、更なる領土拡大をするつもりでいた義昭は小田氏と共闘し江戸氏を攻めて勝利を収めていきました。また宇都宮氏が家中で争いが始まると宇都宮古参の家臣だった壬生氏が、宇都宮城を奪い取り宇都宮当主だった宇都宮広綱は北条氏や佐竹氏に身を寄せていきます。

これに協力する形で壬生氏を撃退し宇都宮氏と同盟関係となり結城氏や白河氏と戦っていくとになりました。結城氏と白河氏に勝利した1560年に義重に家督を譲るといい隠居していく義昭。

義昭が突如として隠居したのは、体が病弱だったために死が近いと察して義重に継がせたといわれておりますが隠居後も佐竹家の実権を握っていました。義重が家督を継いだのは十五歳の時で義昭が家督を継いだ年齢と同じぐらいです。

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義重が初陣をした戦いは小山城を攻める時に、義昭とともに佐竹・上杉連合軍の一員として参陣していたようだな。

十八代佐竹家当主誕生

父から佐竹家を託された義重は十八代目の佐竹家当主として奮闘していきます。

上杉謙信との関係を構築

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義昭の代から上杉謙信との連携を深めていきましたが、1565年に義昭が亡くなり隣国大名からの反撃に合っていきました。謙信の力添えもあったおかげで反勢力に対抗していくと1566年に小田氏の所領を攻撃していくと瞬く間に小田領を半分以上を制圧し自国領土にしていきます。

謙信とは初陣を飾ったと思われる小山城攻めの際に、会っていたと思われ若い当主を捨て置けないと判断し協力してくれたのでしょう。また那須国の武茂氏を従えいき、白河氏の領内に攻め込み勝利を挙げて佐竹領土を徐々に義昭時代まで回復させていきました。

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