仏教を「顕教」と「秘密教」に分ける
空海は仏教を「顕教」と「密教」の二種類に分類しました。
「顕教」はお釈迦さまが衆生救済のために説き顕した教えで、これは経典を読めば誰にでもわかるとされています。反対に、「密教」は真理そのものの現れとされる大日如来が説いた秘密の教えです。この「秘密」は人智を越えたものごと(天候など)に作用する奥深い「神秘」のことを指し、段階を経て修行者に少しずつ公開されるというものでした。
また、「顕教」が何度も輪廻転生して長い時間をかけなければ悟りを開けないとされるのに対して、「密教」では生きたまま今世で悟りが開けるとしています。これは「即身成仏」といって、正しい学びと実践をすれば誰でも悟りを開けるという思想でした。あっ、別に生きたままミイラになるということじゃないですよ!
修行者が悟りに至るまで
仏教にはさまざまな宗派がありますが、ほとんどすべての宗派の最終的な目標は悟りを開くことでした。そうして輪廻転生という苦しみから解放されるのです。
空海の著した『十住心論』では、修行者の心が低い次元から高い次元に登っていく過程を10の段階に分けていました。
一番最初は、煩悩にまみれ、本能のままに生きている段階から始まります。そうして、修行を重ねることによって10段階目の「秘密荘厳心」に至る、つまり、真言密教の境地へ至り「即身成仏」がなされるのです。
鎮護国家の仏法へ
現在でもお寺で加持祈祷をしてもらうことがありますよね。加持祈祷によってお坊さんに除災招福を祈ってもらうのです。真言宗では病魔退散や雨乞いなどさまざまな祈祷が行われていました。これを「修法」といいます。
嵯峨天皇の勅命により、空海は奈良の東大寺に修法を行う真言院を建て、京都の東寺を真言密教の道場として「教王護国寺」と改めました。さらには、宮中にも真言院をつくって修法を正月の行事とします。
仏教には国家を守護し、安定させる力があるとする「鎮護国家」の思想が信じられていた日本で、その鎮護国家の中心だった東大寺、そして、都の東寺と宮中に真言院が設立されたのです。これは朝廷が密教を新たに鎮護国家の仏法としたという、大きなニュースでした。
最澄と空海の交流
同じ時代に、同じく開祖として登場した最澄と空海。このふたりはよく比較されますね。似た境遇のふたりでしたから、交流もあったんですよ。
最澄の留学期間は一年と定められ、彼は天台宗を中心に学びましたが、同時に禅や密教についても勉強しています。しかし、密教の勉強は十分に時間が取れませんでした。そこで、最澄は帰国した空海に教えを乞い、弟子としての礼をとります。
しかし、その後に最澄の弟子の泰範を空海のもとに派遣すると、これが何度呼び戻しても比叡山に帰って来なくなり、終いには真言宗へと宗旨替えしてしまいました。さらに、経典の貸し借りに関する意見や、仏教観の相違によって10年におよんだ交流が終わりを迎えたのです。
ただし、天台宗も「天台密教」、あるいは「台密」といわれています。これは最澄の弟子・円仁と円珍が唐に行って密教を学び直し、天台宗に密教の要素を取り入れたからです。
日本仏教を改めた平安二宗
唐へ行き、新たな宗派をつくりあげた最澄と空海。ふたりが作った別々の宗派は桓武天皇の思惑通り奈良仏教に対抗する宗派となり、最終的に国家の護国鎮護を担う役割を持つようになりました。そして、皇族や貴族の仏教として栄えます。




