
2度目の離婚と2人目の愛人
1947年、太宰治の「斜陽」が発表されるとこれが大ヒット、「斜陽族」の言葉が誕生するほどの社会現象となりました。上記でも少し触れましたが、「斜陽」は太宰治が不倫相手の女性の日記から用いた作品です。しかし、不倫の報いだったのでしょうか……結核を患うようになった太宰治は入院してしまいます。
この時執筆した小説「人間失格」は遺書とも言われ、やがて妻と離婚してしまい、彼にとってはこれが2度目の離婚でした。そんな太宰治は再び愛人を作ります。それはちょうど「斜陽」を執筆していた頃に出会った女性で、つまり不倫しているさなかに別の女性とも出会ったのです。
愛人の女性の名前は山崎富栄、彼女は結婚していましたが、太平洋戦争で夫を亡くしていました。太宰治を心から愛した山崎富栄、しかし彼女の心は満たされず、なぜなら太宰治の愛情を感じられなかったからです。全てを捨てて太宰治を選んだ彼女にとって、それは不安と同時に許せないことだったのかもしれません。
本当に愛した女性の名は
1948年6月23日のこと、山崎富栄は太宰治の愛人・太田静子に向けて一通の手書きを書いて投函します。「私は彼が好きなので一緒に死にます」……手紙にはそう書かれており、その日の深夜に太宰治と山崎富栄は自殺を図って2人とも死亡しました。
遺体が発見されたのは皮肉にも太宰治の誕生日。2人の女性と結婚して2人の女性を愛人にした太宰治、小説家としての才能は言うまでもないですが、気になるのは太宰治の本心……果たして彼は、本当は誰を愛していたのでしょうか。それとも誰も愛していなかったのでしょうか。
愛していたとすれば、それは最初に結婚した小山初代なのか、再婚した石原美知子なのか、1人目の愛人である太田静子なのか、2人目の愛人である山崎富栄なのか。時は流れて1998年、太宰治の遺族が当時彼が残した遺書の一部を公開、そこには「美知子様、誰よりもお前を愛していました」と書かれていました。
太宰治の人生を知ることから始めよう!
太宰治を覚えるには、まず彼の人生を辿ってみてください。要所を絞って覚えるのが基本の歴史にとって、その覚え方はいささか遠回りに思えるかもしれません。
しかし太宰治の人生は波乱万丈、また彼の作品はその時の心境に大きく影響されており、「走れメロス」や「人間失格」はまさにそのとおりでしょう。ですから、彼の人生を辿って太宰治という人間を知ることから始めてください。