
妻の不倫による4度目の自殺未遂
青森へ帰った太宰治は盲腸炎を起こして入院、鎮痛に使用した薬物への依存から薬物中毒になってしまいます。次第に異常な言動も目立つようになり、一時期は精神病院にも移されました。何とか薬物を断ち切った太宰治、とうとう小説家としての才能が開花する未来が訪れます。
昭和10年のこと、芥川龍之介の名を冠した新人賞となる芥川賞が制定されると、第一回最終候補に太宰治の「逆光」が残りました。嬉しさのあまり興奮するものの残念ながら落選、さらに翌年の芥川賞にも「晩年」が候補に挙げられますが、新人の枠に当てはまらないとして除外。
怒る太宰治に対して師・井伏鱒二は薬物治療を理由に彼を強制入院させました。入院中は妻の小山初代が見舞いに訪れていましたが、その過程で妻は不倫を行ってしまい、しかもその相手は小舘善四郎という太宰治にとっての義理の弟だったのです。これによって太宰治は4度目となる自殺を図りました。
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再婚によって立ち直った太宰治の不倫
4度目の自殺も未遂に終わった太宰治は小山初代と離婚、小説の出版をする一方で私生活はすさんでいきました。心配した井伏鱒二は太宰治の再婚を考え、その末に太宰治は高校教師を務める石原美知子と再婚、これをきっかけに彼は立ち直り、それは作風の変化としてもあらわれました。
「走れメロス」はその代表とも言え、人間の善意の心が描かれていますね。また作品の数も増えていき、小説家として完全に立ち直ることができました。しかし、ここで太宰治の女好きの悪い癖が出てしまい、不倫に走った末に子供まで生まれてしまいます。
ちなみに、不倫相手である太田静子の日記を用いて太宰治が発表した作品があり、それが「斜陽」と呼ばれるヒット作です。また、不倫相手との間に産まれた子供は「治子」と名付けて認知、太田治子は現在日本の作家として活躍しています。
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