
自殺未遂
学業を放棄しても文学への興味は依然深く、当時の文学界で広まっていたプロレタリア文学に沿った作品を執筆して同人誌に掲載します。プロレタリア文学とは虐げられた労働者の厳しい現実を描いたもので、この時に発行した同人誌での縁で社会主義者と親しくなりました。
その影響で校内で左翼活動を始める太宰治。最も、この時代においては治安維持法によって過激な社会主義運動を取り締まっていましたから、太宰治が行っていた左翼活動はその対象になるでしょう。ともあれ、芸者遊びと小説の執筆の毎日が中心でしたが、高校3年の時に突然自殺未遂を起こします。
自殺を試みた理由にはいくつか説があり、「親がお金持ちの一方でプロレタリア文学の思想を持っている」、「学業放棄による成績低下」などの悩みが理由ではないかと言われていますね。一命を取りとめた太宰治は高校を卒業すると東京大学へと進学、学業放棄したとは言え、東京大学に合格したのはさすが秀才と言ったところでしょう。
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小山初代との出会い
大学に進学してまず起こったことは、同人誌にこれまで連載してきた作品の中止です。太宰治は権力者・島津家の人間、しかし彼の作品は島津家を告白するものだとして、兄に止められてしまいました。また、左翼活動も内密に継続しており、左翼活動家とはすでに切っても切れない関係になっていたのでしょう。
同人誌での連載が止められたことは太宰治にとってショックでしたが、一方でかねてから計画していた小説家・井伏鱒二への訪問は実現。これは太宰治が「会ってくれないと死ぬ」と過激な手紙を送った効果であり、念願の井伏鱒二の門下生となる夢を果たし、小説家の夢に向けてまた一歩前進したのでした。
さてその頃、ある女性が太宰治の元へと向かっており、それがちょっとした騒ぎとなります。その女性の名前は小山初代。彼女は紅子の名前で芸者として働いており、彼女と出会った太宰治は「東京で一緒に暮らそう」と持ち掛け、そのため小山初代は店を逃げだして太宰治の元へと向かったのです。
絶縁への悲しみによる自殺未遂
太宰治は、自分のところにやってきた小山初代と同棲を始めます。その頃、兄は2つの事実を知らされました。1つは弟が小山初代と同棲していること、もう1つは弟が左翼活動を行っていること、特に問題だったのは後者……なぜなら左翼活動の禁止は父の代から散々言われてきたからです。
そこで兄は太宰治の元を訪れると、小山初代との結婚を許可する代わりとしていくつかの条件を出した契約書を提示しました。その中で、太宰治にとってショックだったのは「分家除籍を行う」と記されていたことで、それは島津家から外れるという絶縁を意味するものです。
彼は仕方なく契約書に署名しますが、絶縁された悲しみは計り知れず、いざ除籍の戸籍謄本を手にするとその悲しさをなお実感するのでした。絶望の淵に立たされた太宰治は、カフェのホステスでお金に悩んでいた田部シメ子とともに、再びの自殺を図ったのです。
大学を卒業できない悩みによる自殺未遂
2度目の自殺の試み、またしても太宰治は命を取りとめて田部シメ子だけが死亡しました。もちろん結婚を約束した小山初代にとってそれは不愉快な知らせであり、そのため太宰治は小山初代から散々な罵声を浴びせられ、事件の影響で県会議員を務めていた兄も謹慎することになったのです。
そして、太宰治が未だ関係を絶ち切れない左翼活動家、とうとう警察の捜査も迫ってきました。これは議員を務める兄にとっても大問題で、弟の違法行為が発覚すれば自らの政治生命も絶たれてしまいます。兄は生活費の援助の継続を条件に警察に出頭するよう太宰治に要求、援助なければ生活できなくなるため、兄に従うしかありませんでした。
こうして左翼活動家との関係を絶ち切った太宰治、一方で井伏鱒二の元での小説家活動には熱心に励みます。しかし、そうなると疎かになるのは学業、大学卒業を兄と約束していたもののそれを守るのはすでに難しく、生活費の援助が得られなくなることに悲観して3度目の自殺を図り、これもまた未遂に終わりました。
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