幕末日本史歴史江戸時代

黒船を率いて日本にやってきたアメリカ海軍提督「ペリー」を歴女が解説

よぉ、桜木健二だ、今回はペリーを取り上げるぞ。黒船で開国を迫った海軍軍人だが、どんな人だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを日本に来た外国人や明治維新が大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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angelica

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、明治維新の頃に来日した外国人には興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、ペリーについて5分でわかるようにまとめた。

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1-1、ペリーはアメリカのロードアイランド州の生まれ

マシュー・カルブレイス・ペリー(Mattew Calbraith Perry)は、1794年4月10日に、アメリカ東北部ロードアイランド州ニューポートで誕生。父のクリストファー・レイモンド・ペリーは、アメリカ独立戦争の際、民兵として入隊、私掠船(政府から敵国の船を攻撃して、船や積み荷を奪う許可を得た個人の船のことで、いわば公認の海賊船)の船長、米海軍大尉、そしてロードアイランド州民事訴訟裁判所の主席裁判官も務めたということ。

マシューは、8人兄弟の4番目で5人の男兄弟はすべて海軍将校に。

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1-2、ペリー、14歳で海軍に

ペリーは14歳のときに士官候補生の辞令を受け、1812年、18歳になると2人の兄とともにアメリカ第二次独立戦争と言われる米英戦争に参加。

ペリーは日本では歴史上の偉人となったが、実はアメリカ本国でそうではなく、今日も教科書に記され英雄として讃えられているのは、兄のオリバー・ハザード・ペリーの方で、オリバーはエリー湖の戦いから6年後、ベネズエラ遠征中に疾病にかかって36歳で病死したため、当時からアメリカでは伝説的存在に。

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1-3、ペリー、20歳で結婚

ペリーは海軍中尉となった1814年に、20歳で、ニューヨークの裕福な商人ジョン・スライデルの娘で17歳のジェーンと結婚。後に10人の子供が生まれることに。

ジェーンの兄は父と同じジョン・スライデルで、コロンビア大学出身の弁護士で、後に民主党の上院議員になったということで、ジェーンの弟のアレクサンダーは海軍に入隊し、ペリーと親友となり、ペリーの兄のオリバーの伝記作家となったということ。

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1-4、若き日のペリーの功績

アメリカでは独立戦争の以前から、奴隷としてアメリカに連れて来られたアフリカ人を助けて、アフリカへ送還するアフリカ移民協会の運動があり、ペリーは1819年、25歳のときアフリカ行きを志願、サイアンというコルヴェット艦の副長に任命されて、男女合計100人弱のアフリカ人を乗せた商船エリザベス号をアフリカの北西海岸まで護送したうえに、ギニアの海岸一帯を巡航し、奴隷密貿易業者の摘発、捕獲された人たちを故郷に送り返すという仕事を行ったということ。

しかしながらこのときは悪天候のせいもあり、護送の任務は果たせず。ペリーはその後も、1843年から1845年にかけて、アフリカ派遣艦隊の司令官となったとき、再度リベリアを訪問して色々尽力したなどで、現在もペリーはリベリアでは恩人として有名だということ。

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1-5、ペリー、海軍で順調に昇進

ペリーはエンジニアとしての才能を持っていたせいか、当時最先端の蒸気船の研究をして1833年にブルックリン海軍工廠の造船所長となり、1837年にはアメリカ海軍で2隻目の蒸気船フリゲートフルトン号を建造して海軍大佐に昇進。1840年6月、ブルックリン海軍工廠の司令官となり、代将の地位にまで到達。

そして1846年に米墨(アメリカ対メキシコ)戦争が勃発、ペリーは後年日本に来航するミシシッピ号の艦長兼本国艦隊副司令として参加して、メキシコ湾のベラクルスへの上陸作戦を指揮したということで、後に本国艦隊の司令官に昇進。ぺリーは蒸気船が主力となってきたアメリカ海軍の強化策を進めると共に、海軍士官の教育にも従事し、蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)とたたえられ、海軍教育の先駆者とされているということ。

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