日本史歴史飛鳥時代

日本に唐の脅威を知らしめた「白村江の戦い」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日は白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)について勉強していくぞ。663年、朝鮮半島南西の白村江にて、「日本・百済の連合軍」と「唐・新羅の連合軍」の戦いが勃発した。

最も、当時は日本ではなく倭国と呼ばれていたが、分かりやすいようここでは日本と表現して解説する。今回、白村江の戦いについて日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

shintomoyui0311

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から白村江の戦いをわかりやすくまとめた。

百済の滅亡

image by PIXTA / 12191814

三国の争い

7世紀にあたる頃、朝鮮半島では3つの国が争っていました。その国とは高句麗・百済・新羅の三国。その中で新羅は中国の唐と親しい関係を築いており、新羅は唐の制度を取り入れて同盟を結ぶほど友好的でした。しかし、この同盟関係が複雑な対立図を生むことになります。

ある時唐が高句麗に侵攻、そこで高句麗は唐と同盟関係を結ぶ新羅への侵攻を考えました。とは言え、高句麗としては唐と新羅の二国を相手に戦うのは少々分が悪く、そのため高句麗は百済と同盟関係を結んで対抗しようとします。要するに「唐・新羅」対「高句麗・百済」の争いの図式ですね。

早速百済は新羅へと侵攻、新羅を圧迫するまでに至るものの勝利することはできず、逆に新羅によって百済は滅ぼされてしまいます。それは660年のことで、生き残った百済の人々は国が滅びてもなお抵抗、そんな百済の人々が復興のための希望としたのは、日本に亡命していた王子・余豊璋(よほうしょう)の存在でした。

日本を頼った百済

一方の日本、当時の日本は大化の改新が行われて間もなく、そのため朝鮮半島に対する外交体制を決める段階にありました。しかし、その意見は「唐との関係を大切にする」「百済との関係を大切にして朝鮮半島での影響力を伸ばす」の真っ二つに分かれていたのです。

果たして唐との関係を選ぶべきか、それとも百済との関係を選ぶべきか……そんな折、百済滅亡の情報が日本に入ります。最も、日本からすれば他国の争いなど関係ないことでしたが、そうはいかない理由が2つありました。まず理由の1つ目は、日本は百済と友好関係を築いていたことです。

そして、2つ目は百済の王子が日本に亡命していたこと。2つの理由を考えると百済が王子を頼ってくるのは明白、その王子がいてなおかつ友好的な関係である日本に対して助けを求めるのは想像せずとも分かることでした。そんな日本の読みは案の定的中、百済は日本に助けを求めてきたのです。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

高句麗・新羅・百済の争いで百済は滅亡、しかし百済には頼るべき存在があった。それは王子である余豊璋の存在だが、王子は日本に亡命していた上に百済は日本と友好関係になり、そのため百済は日本に助けを求めてきた。

白村江の戦い

image by PIXTA / 56746517

次のページを読む
1 2 3 4
Share:
shintomoyui0311