
縄文時代と弥生時代を区切るポイント
縄文時代を覚える上で欠かせないのが弥生時代との比較、ただ難しいのは、縄文時代と弥生時代の年代の区切りには、江戸時代から明治時代に移った時のような区切りの年が明確になっていないことです。そのため、年代以外の部分から縄文時代と弥生時代を分けなければなりません。
まずその一つが土器、そもそも弥生時代と名付けられたのは東京都文京区の弥生町で土器が発見されたことが由来となっていますが、この土器において明確な違いがあります。これまでの解説でも少し触れましたが、縄の文様があるのが縄文土器、それがなくシンプルなデザインになっているのが弥生土器です。
さらに人々の暮らしにおいても大きな違いがあり、それは弥生時代になると稲作が始まるという点ですね。つまり、狩りを中心とした生活から稲作を中心とした生活に変化していき、その変化の境目イコール縄文時代と弥生時代の境目と考えられています。
個人の生活から集団の生活へ
稲作となるとそれはたった一人では行えず、そのため人々が集団となって協力する暮らしの仕方が必要になってきます。そして集団となることで村や国の概念が生まれ、そうなると求められるのがリーダーの存在であり、これが身分や格差を生むことになりました。
このようにして、弥生時代になると所々の場所で村や国と扱われる集団が生まれていき、そこではリーダーを中心とした組織が作られます。当然、あちこちの場所で集団が誕生することになりますから、そこで発生するのが異なる集団同士の争い。一方で、縄文時代ではこのような争いはほとんど起きなかったとされています。
縄文時代では竪穴住居がつくられるようになって村の始まりは起こったものの、基本的には狩りを中心にした個人の生活でした。しかし、弥生時代になったことでそんな生活に変化が起こり、稲作を中心した集団生活とそのための村や国が生まれてくるのです。

ここでは分かりやすく「村・国」と解説したが、縄文時代や弥生時代には村や国の概念はない。そのため、これらの時代の集団生活の過程で誕生した村や国は「村・国」ではなく「ムラ・クニ」とカナで表現するのが実際は正しい。
縄文土器と人々の生活を弥生時代と比較して覚えよう!
縄文時代のポイントは、縄文土器と人々の生活を覚えることです。縄文土器は縄文時代の象徴ですから覚えることは必須、縄の文様があるという特徴と土器の種類を知っておきましょう。
また、人々の暮らしにおいて食生活を中心に覚えていけば、その過程で縄文土器が作られた理由も分かりますね。このような縄文土器と人々の生活を、弥生時代と比較して覚えていくとなお万全です。