今日は縄文時代(じょうもんじだい)について勉強していきます。縄文時代は日本の時代区分において最初の年代として扱われており、そのため日本の歴史でまず習うことになるのが縄文時代です。

初めて習う日本の歴史、ここでつまずいてしまっては苦手意識を持ってしまうに違いない。そうならないよう、今回は縄文時代について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から縄文時代をわかりやすくまとめた。

縄文土器が誕生するまでの流れ

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縄文海進によって変わった食生活

歴史は「人物」に比べて「時代」は覚えづらく、それはあまりに漠然としすぎているからです。実際、いくら必死で勉強してもその時代全てを網羅するのは不可能で、そこで必要なのが的を絞った覚え方。縄文時代の場合、それは土器暮らしではないでしょうか。

そこで、ここは縄文土器と暮らしに的を絞って解説していきますね。まず土器ですが、人々が土器を作って使おうとしたきっかけは温暖化による縄文海進とされていて、縄文海進とは縄文時代に日本で発生した海水面の上昇です。これによってナウマンゾウを始めとして、多くの大型哺乳類が絶滅してきました。

そうなると人々が困ったのは食事、食糧として狩っていた獲物が絶滅したことで食生活の変更を余儀なくされたのです。しかし人間とは実に利口な生き物、縄文時代の人々は哺乳類が絶滅した一方で、温暖化によって植物が豊富に芽を出すようになったことに気づき、これを新たな食糧にしようと考えます。

食べ物の新たな保存方法と調理方法の模索

これまで狩りや釣りによって動物や魚を食べていた人々でしたが、植物が育ったことでこれらに加えて木の実や山菜を食べる知識と習慣を身につけました。しかし、困ったことに木の実や山菜は食べづらく、なぜなら堅い殻で覆われているものや、直接焼くとたちまち燃えてしまうものも少なくなかったからです。

そこで人々は考えます。「山菜や木の実は食べづらく、また温暖化した暖かさでは食べ物はすぐに腐ってしまう。これを解決する方法はないだろうか?」、「直火焼きではない調理方法を実現するにはどうすれば良いだろうか?」……そこで考えたのが器を使うことでした。

器に食べ物を保管すれば空気や湿気を遮断して塩漬けにできますし、食べ物を器に入れた状態で焼けば直火以外を避けて焼くこともできるでしょう。人々は早速器となるものを作ることに取り掛かり、その結果いよいよ完成した器が縄文土器と呼ばれるものなのです。

縄文土器の種類と特徴

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深鉢形土器、浅鉢形土器、有孔鍔付土器

縄文時代の人々が作り出した土器、すなわち縄文土器には文字どおり縄の文様が入っている特徴があります。縄文時代の土器には縄を巻き付ける、もしくは縄を転がすなどしてつけられた文様があり、それが縄文土器と名付けられた由来です。最も、縄文土器の装飾はそれだけではありません。

時代が進むと共に縄だけでなく動物の骨や貝殻を装飾として使用したものもありますし、凹凸のついた形状のものもあり、種類を挙げると次のものが存在します。まず粗製深鉢形や精製深鉢形など、深鉢形(ふかばちがた)と呼ばれる土器は主に食べ物を煮る目的で使われていたそうです。

高さのなさが特徴の浅鉢形土器は食べ物の盛り付けや貯蔵が目的、ポツポツと列状にあけられた小さな穴が特徴の有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)は酒造が目的とされていますね。ただし、有孔鍔付土器については実際のところ不明になっていて、酒造が目的というのはあくまで有力な一説としての位置付けです。

注口土器、火焔型土器

さらに縄文土器の種類を挙げていくと、やかんそっくりな注ぎ口が特徴の注口土器(ちゅうこうどき)は液体を注ぐのが目的。そして、土器の縁となる箇所に炎が燃えているような派手な装飾が特徴の火焔型土器(かえんがたどき)は、儀式に使われていたとされています。

このように種類や形状が様々な縄文土器ですが、共通しているのが縄の文様であり、いずれの土器もよく見ると縄の文様が施されているのです。さてここで一つ注意点を挙げると、「土器=縄文時代」と覚えてしまうのは少々軽率で、なぜなら後の弥生時代にも土器が使用されています

そこで、土器を見てそれが縄文土器なのか弥生土器なのかを判断する力が求められますが、これは簡単。縄文土器は文字とおり縄の文様という分かりやすい特徴がありますし、またデザインのイメージで比較すれば縄文土器は個性的かつ派手、弥生土器は質素かつシンプルなのが特徴です。

縄文時代の人々の暮らしと文化

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石器を使った道具の発明

では次に、縄文時代の人々の暮らしを解説していきましょう。まず土器の登場が目立つ縄文時代ですが、この時代で発明されたものとして土器以外に弓矢も挙げられ、土器と弓矢は縄文時代の二大発明と呼ばれています。狩りが欠かせない縄文時代において、より安全に獲物を仕留めるために弓矢が発明されたのでしょう。

矢の先には、石を材料にして作られた石器をつけるなどの工夫もなされています。また、石器に関して言えば自然の狩りの目的に対応した様々な種類のものが発明されました。例えば木を切り倒すために石斧、動物の肉を削るためにナイフ、木の実をすり潰すためにすり石などが作られています。

現在でこそ完成された道具がありますが、縄文時代ではそれもなく自分達で作る必要がありました。その点、縄文時代の人々は身近にあるものから上手に道具を作っていて、木を使って舟を漕ぐためのオールを作ることもあれば、動物の骨を使って魚を釣るための釣り針、装飾のためのアクセサリーまで作っていたのです。

村の始まりに伴って誕生した竪穴住居

縄文時代以前の旧石器時代では、村という文化はなく人々は常に移動する生活を送っていました。ですからテントのような簡易的な住居はあったものの、獲物を追いかけるために同じ場所には留まっていなかったのです。そんな人々に暮らしに変化が起こったのも縄文時代、長期間同じ場所で人々が集まって暮らすという村の始まりが見られるようになりました。

そうなると必要になるのが安定した住居であり、そこで誕生したのが竪穴住居です。地面を掘ってそこに柱をたてて屋根を被せた半地下式の構造の家で、これは縄文時代のキーワードになっているほど有名な建物でしょう。最も、村に建てられたのは竪穴住居だけではありません。

同じ建物にしても、中には太い柱を使った大きな建物も見られるようになっていき、さらに村に住み人々が集まるための広場や亡くなった人を埋葬するためのお墓。それ以外にも食べものの残りを捨てる貝塚ストーンサークルとも呼ばれる多くの石を大きな円形に並べた環状列石などもありました。

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未だ解明されていない縄文時代の一部

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土偶、ミニチュア土器、土版などの用途を想像

現在でも研究がなされていることから分かるとおり、縄文時代の全てが明らかになっているわけではありません。実際、縄文時代の遺跡からは未だに用途が不明なものもたくさん発見されています。そして、その代表とも言えるのが人形のようなデザインで制作された土偶でしょう。

他にも非常に小さなミニチュア土器、石で作られた棒や刀、さらに幼い子供の手形や足形のついて土版が見つかっていますし、お墓からは石や貝殻で作られたアクセサリーが発見されています。最も、正確な用途は不明でもそれをある程度想像することはできますね。

土偶やミニチュア土器や石で作られた棒や刀は、祈りや祭りなど大切な儀式の中で使われたと考えると納得できるでしょう。土版は親が子供を大切にしていることを示す象徴として、お墓から発見されたアクセサリーは故人の冥福を祈ってその魂を讃えるためと考えるとこれも納得がいきますね。

縄文人の顏つきや寿命

縄文人の身長を平均すると男性が約157wp_、女性が約147wp_と現代人に比べて小柄です。しかしその一方で筋力は高く、過酷な暮らしの中で鍛えられた身体は現代人以上に筋肉がしっかりしていたでしょう。顏のほりは深く、二重まぶたで厚い唇などハッキリとした顔つきが特徴です。

最も、外見だけで判断すれば見るからに丈夫そうな縄文人ですが、ただ平均寿命を挙げてみると極端に短くなっています。気候や環境が厳しく、医療と呼べる技術が皆無だった縄文人の平均寿命は男性も女性も15歳に満たないほどの短さで、これは乳児期・幼児期に死亡してしまう子供が多かったためとされていますね。

ただ、これでは集団の存続は不可能ですから、縄文人の出生率は非常に高かったのではないかとされており、要するに死亡率の高さを出生率の高さで補うことで存続させていたのでしょう。実際、縄文時代はおよそ16000年前に始まったとされていますが、それが終わったとされているのがおよそ2300年ほど前……つまり10000年以上も続いたのです。

縄文時代と弥生時代の比較

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縄文時代と弥生時代を区切るポイント

縄文時代を覚える上で欠かせないのが弥生時代との比較、ただ難しいのは、縄文時代と弥生時代の年代の区切りには、江戸時代から明治時代に移った時のような区切りの年が明確になっていないことです。そのため、年代以外の部分から縄文時代と弥生時代を分けなければなりません。

まずその一つが土器、そもそも弥生時代と名付けられたのは東京都文京区の弥生町で土器が発見されたことが由来となっていますが、この土器において明確な違いがあります。これまでの解説でも少し触れましたが、縄の文様があるのが縄文土器、それがなくシンプルなデザインになっているのが弥生土器です。

さらに人々の暮らしにおいても大きな違いがあり、それは弥生時代になると稲作が始まるという点ですね。つまり、狩りを中心とした生活から稲作を中心とした生活に変化していき、その変化の境目イコール縄文時代と弥生時代の境目と考えられています。

個人の生活から集団の生活へ

稲作となるとそれはたった一人では行えず、そのため人々が集団となって協力する暮らしの仕方が必要になってきます。そして集団となることで村や国の概念が生まれ、そうなると求められるのがリーダーの存在であり、これが身分や格差を生むことになりました。

このようにして、弥生時代になると所々の場所で村や国と扱われる集団が生まれていき、そこではリーダーを中心とした組織が作られます。当然、あちこちの場所で集団が誕生することになりますから、そこで発生するのが異なる集団同士の争い。一方で、縄文時代ではこのような争いはほとんど起きなかったとされています。

縄文時代では竪穴住居がつくられるようになって村の始まりは起こったものの、基本的には狩りを中心にした個人の生活でした。しかし、弥生時代になったことでそんな生活に変化が起こり、稲作を中心した集団生活とそのための村や国が生まれてくるのです。

縄文土器と人々の生活を弥生時代と比較して覚えよう!

縄文時代のポイントは、縄文土器と人々の生活を覚えることです。縄文土器は縄文時代の象徴ですから覚えることは必須、縄の文様があるという特徴と土器の種類を知っておきましょう。

また、人々の暮らしにおいて食生活を中心に覚えていけば、その過程で縄文土器が作られた理由も分かりますね。このような縄文土器と人々の生活を、弥生時代と比較して覚えていくとなお万全です。

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日本史歴史縄文時代

日本の歴史はここから始まる「縄文時代」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

今日は縄文時代(じょうもんじだい)について勉強していきます。縄文時代は日本の時代区分において最初の年代として扱われており、そのため日本の歴史でまず習うことになるのが縄文時代です。

初めて習う日本の歴史、ここでつまずいてしまっては苦手意識を持ってしまうに違いない。そうならないよう、今回は縄文時代について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から縄文時代をわかりやすくまとめた。

縄文土器が誕生するまでの流れ

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縄文海進によって変わった食生活

歴史は「人物」に比べて「時代」は覚えづらく、それはあまりに漠然としすぎているからです。実際、いくら必死で勉強してもその時代全てを網羅するのは不可能で、そこで必要なのが的を絞った覚え方。縄文時代の場合、それは土器暮らしではないでしょうか。

そこで、ここは縄文土器と暮らしに的を絞って解説していきますね。まず土器ですが、人々が土器を作って使おうとしたきっかけは温暖化による縄文海進とされていて、縄文海進とは縄文時代に日本で発生した海水面の上昇です。これによってナウマンゾウを始めとして、多くの大型哺乳類が絶滅してきました。

そうなると人々が困ったのは食事、食糧として狩っていた獲物が絶滅したことで食生活の変更を余儀なくされたのです。しかし人間とは実に利口な生き物、縄文時代の人々は哺乳類が絶滅した一方で、温暖化によって植物が豊富に芽を出すようになったことに気づき、これを新たな食糧にしようと考えます。

食べ物の新たな保存方法と調理方法の模索

これまで狩りや釣りによって動物や魚を食べていた人々でしたが、植物が育ったことでこれらに加えて木の実や山菜を食べる知識と習慣を身につけました。しかし、困ったことに木の実や山菜は食べづらく、なぜなら堅い殻で覆われているものや、直接焼くとたちまち燃えてしまうものも少なくなかったからです。

そこで人々は考えます。「山菜や木の実は食べづらく、また温暖化した暖かさでは食べ物はすぐに腐ってしまう。これを解決する方法はないだろうか?」、「直火焼きではない調理方法を実現するにはどうすれば良いだろうか?」……そこで考えたのが器を使うことでした。

器に食べ物を保管すれば空気や湿気を遮断して塩漬けにできますし、食べ物を器に入れた状態で焼けば直火以外を避けて焼くこともできるでしょう。人々は早速器となるものを作ることに取り掛かり、その結果いよいよ完成した器が縄文土器と呼ばれるものなのです。

縄文土器の種類と特徴

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