米経済の時代に重商主義経済を取り込んで経済を活性化したことが再評価に
田沼意次は将軍の側仕えで認められ、低い身分から老中にまで成り上がった人。当時の幕府は米経済で、せいぜい倹約と年貢の厳しい取り立てか新田開発程度であったのに、意次は珍しくお金の勘定が出来、身分制度に拘らずに人材を登用し、株仲間を作り、商人から冥加金を得、貿易で利益を得るなど貨幣経済を持ち込んだため、好景気となり大坂や江戸の町人文化は栄え、歌舞伎や絵画、俳句などが盛んになって江戸はルネッサンスのような華やかな文化真っ盛りに。
しかし意次のバックにいた10代将軍家治が亡くなると、頭の固い倹約や米経済しか考えない松平定信らの後任によってあえなく失脚、賄賂や金儲け主義と否定され、悪人のレッテルを張られてしまったのですね。
しかしながら、その後長州、薩摩を始めとする雄藩は意次の改革を見習ったように藩政改革で米経済から転換して財を成し、明治維新で台頭、結果的に幕府を滅ぼすことになったことを考えると、意次に対する近代日本の先駆者との評価も言い過ぎではないかも。





