2-3、俵物などの専売、外国貿易の拡大
俵物とは、いりこ(ほしなまこ)、ほしあわび、ふかひれなどを俵に詰めたもので、中国料理の高級食材のこと。蝦夷地で生産され、長崎から清(中国)に輸出されるこれらの製品の貿易で、利益を得ようとするのは当時としては斬新な発想だったそう。また意次は、開国も視野に入れていたという説もあり。
2-4、通貨改革
それまでの通貨は、金、銀、銭の三貨体制で、金貨は主に江戸を中心とする関東、東国、中部地方で流通、1両、4分、16朱の四進法による計数貨幣。銀は大坂、西国、日本海地域で流通、塊の重量の貫、匁で取引される秤量貨幣で。そして銭は、庶民の間で流通していた少額貨幣、1貫は1000文(4貫で1両)の計数貨幣で、主に銅銭。
これでは江戸中心の経済圏と大坂中心の経済圏とで、全く異なる通貨が使われる弊害が大きく、金と銀との比価が変動することも問題になり、商品流通が全国的な規模になると、金銀比価の変動は円滑な経済活動の妨げに。
そういう理由で、意次は通貨の一元化を図るため新しい南鐐二朱判(なんりょうにしゅばん)という銅貨を発行。南鐐とは良貨という意味で、純度97.8%の銀の計数貨幣だったということ。しかし旧来の貨幣制度で暴利をむさる両替商の猛反対と、意次失脚後、松平定信が鋳造を中止したが、貨幣一元化のメリットが大きいことが認識され、意次失脚の14年後の寛政12年(1800年)に鋳造が再開されたそう。
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2-5、蝦夷地開発
晩年の意次は、仙台藩の工藤平助が著した「赤蝦夷風説考」をきっかけに、蝦夷に目を向け、最上徳内などで幕府の探検隊を作り、調査開発の事務方には勘定奉行松本秀持などをあてて、蝦夷地開発に資金を注ぎ込んだが、印旛沼干拓などと同じく成果はなかったので、意次の失脚後、中止に。
尚、他にも長崎会所の健全化や上知令なども行ったそう。
3-1、田沼時代の文化的な功績

木村黙老 / Momuō Kimura – http://www.mita.lib.keio.ac.jp/archives/rarebook/abstracts/rare079 http://www.mita.lib.keio.ac.jp/archives/rare_img/079.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
意次は旧式にとらわれず、斬新な発想と先見性をもち、あらゆる階層の人々から情報を得て改革を断行したせいか、経済は好転、都市には多くの富裕層が生まれ、町人を中心とした豊かな文化がルネッサンスのように花開いたということ。意次はあの江戸時代のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われる多種多芸な平賀源内のパトロンにもなり、蘭学を手厚く保護し、人材登用も試みたそう。
この時代の文化人として有名なのは、文人画家の池大雅、浮世絵の鈴木晴信、喜多川歌麿、俳句の与謝蕪村、オランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」を翻訳した「解体新書」を出版した蘭学医の杉田玄白、前野良沢なども輩出。
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