奈良時代日本史歴史

70年以上続いた奈良の都「平城京」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日は平城京(へいじょうきょう)について勉強していくぞ。今から約1300年ほど昔、現在の奈良県奈良市に平城京と呼ばれる都がつくられた。遷都したのは元明天皇、ここから奈良時代は始まっていく。

しかし、これまでの藤原京からどのような目的で都を移したのだろうか。そこで、当時の時代背景と共に今回は平城京について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から平城京をわかりやすくまとめた。

平城京に遷都した理由

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藤原不比等の主張説

平城京でまず知っておかなければならないのは遷都した年で、それは710年……「なんと立派な平城京」などの覚え方が一般的ですね。ただ、これだけでは平城京については何も分からないので、今回しっかり覚えていきましょう。さて、平城京は710年に藤原京から遷都されましたが、この理由は定かになっていません。

最も、いくつかの推測は挙げられており、「藤原京は交通の便が悪かったため」、「藤原不比等の一族が権力を高めるようと、都を飛鳥地方から引き離そうとした」などの理由からではないかとされています。まずここで名前が登場する藤原不比等(ふじわらのふひと)ですが、彼は藤原鎌足の息子です。

藤原不比等は元明天皇の息子である文武天皇に娘を嫁がせ、それによって権力を手に入れました。藤原不比等はさらに権力を高めようとしますが、そのためには都をこれまでの飛鳥地方から離れた場所に移す必要があると考え、藤原京から平城京への遷都と主張したとされています。

遣唐使再開による影響説

藤原不比等の主張論を裏付ける史料として、608年に元明天皇が出した「遷都の詔」があります。史料によると元明天皇は遷都を急いではいなかったそうで、ただ周囲の貴族らが遷都の必要性を強く主張していたと記されており、その貴族の中に藤原不比等も含まれていたとされているのです。

また、近年では都を移した理由の新たな説として「遣唐使再開による影響説」も指摘されていますね。遣唐使は、唐との関係悪化を招いた663年の白村江の戦いで一時中断されましたが、702年に再開したことで、それに伴って平城京をつくろうとしたという説です。

再開によって約30年ぶりに唐の都・長安を見た遣唐使は藤原京との歴然たる差に驚いたそうで、このままでは日本が外国の使節団に笑われてしまうと思ったのでしょう。そこで藤原京にかわる新たな最先端の都をつくることを計画、それが平城京だという説もあるのです。

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これまでの藤原京から平城京へと遷都したことには必ず理由があるはずだが、明確な理由は明らかになっていない。ただいくつかの説があり、「藤原不比等が権力を高めるため」や「遣唐使を再開したことでの影響」などの説が一般的だ。

元明天皇とはどんな人物なのか

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