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初代駐日アメリカ公使「タウンゼント・ハリス」を歴女が解説

よぉ、桜木健二だ、今回はタウンゼント・ハリスを取り上げるぞ。最初の駐日アメリカ公使だが、どんな人だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを明治維新が大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、明治維新に来日した外国人に興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、タウンゼント・ハリスについて5分でわかるようにまとめた。

1-1、タウンゼント・ハリスはニューヨーク州の生まれ

image by PIXTA / 48969588

タウンゼント・ハリスは、1804年10月3日、ニューヨーク州ワシントン郡サンデーヒル(後のハドソン・フォールズ)に父ジョナサン・ハリスの6人の子供のうちの5男で末っ子として誕生。 父ジョナサンは帽子店を営み、村長も務めたそう。

1-2、ハリスのルーツ

「日本滞在記」によれば、ハリスの家系はウェールズ系で、祖父はふたりともアメリカ独立戦争で戦った人。祖母サンクフルは勝気な性質で、独立戦争では夫の不在中にひとりで7人の子を育てたが、住んでいた地域が一時イギリス軍に占領されて略奪、放火などを被り、ハリス祖母も家を焼かれたので生涯イギリス人を憎み、この祖母の旧姓であるタウンゼントの名の付いた孫に、「真実を語れ、神を恐れよ、イギリスを憎め」と教えていたせいで、ハリス少年はイギリス製のナイフを使わず、イギリス製の布で作った服も嫌うように。

1-3、ハリスの子供時代

ハリスは家庭の事情で小学校と中学校卒業後、すぐに父に連れられてニューヨークの父の友人の呉服店に奉公したが、明るく忠実な性格でよく働いたので可愛がられたそう。そして数年後、父や兄が陶磁器輸入商を始めたのでハリスも加わり、陶器を通して東洋に興味をもつことに。

ハリスは愛情あふれる家庭に育ったことは感謝したものの、大学教育を受けなかったことは終生後悔していたのですが、仕事の合間には図書館などでひたすら読書に励み、独学でフランス語、イタリア語、スペイン語を習得して、文学を学んだということ。

1-4、ハリス、母と姪たちと暮らす

ハリスは結婚適齢期になっても結婚話には耳を傾けず、母と両親を亡くした姪たちと暮らし、母と夕食後に本について語らうのを楽しみにしていたそう。母も知性溢れる人だったということで、ハリスは母との民主主義や共和主義について議論も何よりの楽しみだったので、兄のジョンがハリスに商用でイギリスへ行くよう勧めたときも、母の側を離れるのに忍びないと断ったくらいで、「母の側を離れるくらいならば、極東へ行く」と言ったということ

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学究肌の人が生涯独身ってよくあるが、これは今でいうマザコンとは違うのか

1-5、ハリス、ニューヨークの教育局長に就任

ハリスは苦学した経験で後に教育活動に目を向けるようになり、1846年にニューヨーク市の教育局長、翌年の1847年には高等教育機関フリーアカデミー(現在のニューヨーク市立大学シティカレッジの前身)を創設。自らフランス語、イタリア語、スペイン語を教えるなど、貧困家庭の子女の教育向上に尽くしたということ。そのほか、医療や消防などの公共事業に携わったが、1847年、最愛の母が87歳で亡くなり、一時は酒におぼれるなど悲嘆にくれ、気を取り直して公共事業に打ち込んだものの1848年に辞職。

尚、現在のニューヨーク市立大学シティカレッジ図書館には、ハリスが日本駐在時に作らせたという最初の日本製の星条旗や、ハリスが書き残した書状や所有物などが展示、保存されているということ。

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