血の日曜日事件
アメリカのルーズベルト大統領の仲介によって講和に至った日露戦争、講和で終結したという点では戦争の勝敗は引き分けでした。しかし、実質ロシアは戦いにおいて日本に敗れており、戦争に費やした莫大な費用のため国民の生活は貧しくなって暴動が起こります。
その中でも、特に有名で大規模な暴動となったのが血の日曜日事件でしょう。ロシアの神父が生活が貧しくなる国民のために立ち上がり、生活改善を訴えてデモを起こしたのです。これに対して当時のロシア皇帝・ニコライ2世は武力による鎮圧を図ろうとしました。
これに怒ったのは国民、生活改善を訴える必死のデモに対して武力行使など言語道断。皇帝の命令に怒った国民によってロシア第一革命が起こります。多くの労働者と農民が立ちあがったことで革命はロシア全土に広がっていき、国民は憲法制定による立憲君主制の確立や国会の開設などを要求したのでした。
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ロシア帝国の終焉
収まる気配のない大規模なロシア第一革命、さすがの皇帝もこれほど大規模な国民の訴えを無視できず、やむなく要求の大半を受け入れる形になりました。要求どおり議会を開催したことでロシア第一革命は収まり、何とかロシアに平和を取り戻すことができたのです。
しかしその平和はほんの束の間、ロシアでは第一次世界大戦を挟んでさらなる暴動と革命が立て続けに起こるようになり、事態を深刻と捉えたニコライ2世は皇帝を退位しました。そして、ロシアはこれまで300年以上続いていた帝国の歴史を終えることになっていきます。
思えば三国干渉をきっかけに日本に敵視されたロシアでしたが、日露戦争で実質敗北を喫してしまい、ポーツマス条約では不利な内容を承諾せざるを得なくなりました。戦争に費やした費用は国民の生活を貧しくさせ、それが暴動や革命につながって帝国自体を終わらすことになってしまったのです。
「何が記されているか?」より「何が記されていないか?」が重要
ポーツマス条約のポイントは、条約に記されている内容ではなく記されていない内容が重要という点です。条約に記された6つの主な内容はいずれも日本に有利なものであり、戦争の結果を考えればそれは当然でしょう。
しかし、そこにはロシアの賠償金の支払いが一切記されておらず、それが日本の国民を暴動に導きました。つまり、賠償金の支払いが記されていないことこそ、ポーツマス条約における日本にとっての最大の問題だったのです。