日本史明治歴史

アメリカが仲介した日露講和条約「ポーツマス条約」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

ここはテストでも間違えやすいポイントだ。ポーツマス条約は日本とロシアとの間で結ばれた講和条約、当然調印の場所は日本かロシアのいずれかに思えるだろう。しかしポーツマス条約を結んだ場所はアメリカのポーツマスだ。

ポーツマス条約の不満

image by PIXTA / 22697965

賠償金の支払いを拒むロシア

ポーツマス条約の内容は主に6つ。具体的には「日本の朝鮮半島における優越権をロシアは認める」、「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本に譲渡する」、「ロシア沿岸の漁業権を日本人に与える」など、いずれも日本に有利なものになっています。

ちなみに、他には「日本・ロシアの両国の軍隊は鉄道警備隊を除いて満州から撤退する」、「ロシアは東清鉄道の内、旅順から長春間の南満州支線と付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する」、「関東州の租借権の譲渡」などの内容が含まれていました。

このように日本が有利な条約になっているのは日露戦争に勝利したゆえの特権でもありますが、ただポーツマス条約の中にはロシアの賠償金の支払いが含まれていません。もちろん、日本は賠償金を要求しましたがロシアはこれを拒否、日本もそれ以上の要求はできませんでした。

日比谷焼打事件

ロシアは賠償金の支払いを強固な姿勢で拒み、どうしても要求するなら戦争を続けても良いとまで考えます。ロシアに勝利した日本でしたがこの挑発に乗るのは賢明ではなく、なぜなら小さな島国である日本は長期的な戦争になると兵力や兵器などの点で不利だったからです。

そのため、日本はロシアが賠償金を支払わないことを認めるしかなく、案の定日本の国内では激しい暴動が起こってしまいました。代表的なものとして、1905年の日比谷焼打事件が挙げられ、これはポーツマス条約に反対した国民が日比谷公園に集まって起こった事件です。

頭山満・河野広中らが主催した日比谷公園のポーツマス講和条約反対国民大会、これに集まった多くの国民が暴動を起こし、警察署や新聞社や内相官邸などを次々と焼き打ち。日比谷焼打事件は翌日に戒厳令がしかれるほどの大きな事態となりました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

ポーツマス条約の内容はいずれも日本に有利なもので、そこに記されている条約には何の不満もなかった。問題は記されていない内容……すなわち賠償金の支払いだ。これを拒んだロシアと承諾した日本、国民はその不満から暴動を起こした。

ロシアで起こった暴動と革命

image by PIXTA / 13998759

\次のページで「血の日曜日事件」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: