日本史明治歴史

アメリカが仲介した日露講和条約「ポーツマス条約」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今日はポーツマス条約について勉強していくぞ。明治時代、大抵の戦争では最終的に条約が結ばれ、それを戦争を締めとするパターンが多く、日露戦争もその例外ではない。

1904年の日露戦争では翌1905年に日本とロシアとの間に条約が結ばれており、それがポーツマス条約だ。そこで今回、ポーツマス条約について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」からポーツマス条約をわかりやすくまとめた。

日本とロシアの敵対

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下関条約に対するロシアの介入

ポーツマス条約を結ぶ要因となった日露戦争ですが、そもそもなぜ日本とロシアとの間に戦争が起こったのでしょうか。それは1904年に日露戦争が起こる以前のこと、話は1894年の日清戦争まで遡ります。日清戦争に勝利した日本は、翌1895年に清国との間に下関条約を結びました。

条約と言っても戦争に勝利したのは日本ですから、その内容は必然的に日本が有利なものになります。下関条約の内容は主に次の3つで、「1.清国は朝鮮国の独立を認める」、「2.遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲る」、「3.日本に賠償金3億1100万円を支払う」というものでした。

このうち、日露戦争に関わってくるのが2つ目と3つ目の内容……つまり「遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲る」「日本に賠償金3億1100万円を支払う」です。日清戦争の結果と下関条約の内容は当然世界の各国も把握しており、これに待ったをかけたのがロシアでした。

三国干渉による圧力

実はロシアは遼東半島への進出を計画しており、そのさなか下関条約によって遼東半島が清国から日本に渡されたのです。そのため、ロシアは日本に遼東半島を清国に返還するよう要求しますが、日清戦争や下関条約において全くの部外者であるロシアの介入に日本が了承するはずありません。

もちろんロシアもそれは分かっていましたから、そこでロシアはドイツ・フランスを加えて三国がかりで日本に圧力をかけたのです。ロシアのみならずドイツ・フランスからも睨まれる日本、こうなってしまえばさすがに拒むことはできず、ロシアの要求に従って遼東半島を清国へと返還、これを三国干渉と呼びます。

「せっかく手に入れた領土を部外者の国の介入によって失ってしまった」……日本の政府も国民もこの結果に納得できず、日本はロシアを敵視するようになりました。さて、下関条約では日本に多額の賠償金が支払われています。そこで日本はこの賠償金を軍事力の強化へと費やし、ロシアとの戦いに備えていたのです。

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日清戦争に勝利したことで遼東半島を領土にした日本、しかしロシアの介入と三国干渉の圧力によって遼東半島を手放すことになった。これによって日本はロシアを敵視、いずれ訪れる戦争に向けて着々と準備を進めたのだ。

日露戦争の発生

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\次のページで「日露戦争の引き金となった義和団事件」を解説!/

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