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孤高の非エリート科学者「ダーウィン」『種の起源』が与えた影響を元大学教員がわかりやすく解説

牧師の道に路線変更して植物採集に熱中

医業を継ぐことは困難と判断した父は、ダーウィンを牧師にするためにケンブリッジ大学のクライスト・カレッジに入学させます。そこで神学や古典を学びながらダーウィンは自然の研究に没頭。ケンブリッジ大学を優秀な成績で無事に卒業しました。

しかしダーウィンは大学で得たものは何もなかったと回想。この時期の彼に影響を与えたのは、大学外で出会った聖職者・博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローでした。ダーウィンはのちに、ヘンズローを自分に大きな影響を与えた人物のひとりであると明言しています。

ケンブリッジ大学を卒業後、イギリス海軍ビーグル号に乗船

Route from Plymouth, England, south to Cape Verde then southwest across the Atlantic to Bahia, Brazil, south to Rio de Janeiro, Montevideo, the Falkland Islands, round the tip of South America then north to Valparaiso and Callao. Northwest to the Galapagos Islands before sailing west across the Pacific to New Zealand, Sydney, Hobart in Tasmania, and King George's Sound in Western Australia. Northwest to the Keeling Islands, southwest to Mauritius and Cape Town, then northwest to Bahia and northeast back to Plymouth.
By © Sémhur / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, Link

ケンブリッジ大学を卒業したあと、ヘンズローの紹介によりイギリス海軍の測量船であるビーグル号に乗船することが決定。事故や遭難が多かった時代。父親は難色を示すものの何とか説得。ダーウィンは船酔いに悩まされながらもイギリスから南米に向かいます。

ガラパゴス諸島にて生物の多様性を記録

ビーグル号は1831年にイギリス南西部の港町プリマスを出発。途中、アフリカの西沖合にあるカーボベルデに立ち寄ります。ここで火山を観察したダーウィンは観察記録を開始。その後、ブラジルのリオデジャネイロで正式な博物学者が下船したため、ダーウィンが非公式ながら仕事を引き継ぐことになりました。

1835年にビーグル号はエクアドルのガラパコス諸島に到着。その地でダーウィンは、ゾウガメ、イグアナ、マネシツグミに惹きつけられ、生物の多様性を詳細に記録するようになります。駆け出しの科学者だったダーウィンは、何かを理論化するのではなく、ただ一心不乱に記録し続けました。

ビーグル号の航海の経験を通じて生物の「変化」に気が付く

ダーウィンはガラパコス諸島に生息している生物の観察を通じてあることに気が付きます。いろいろな場所に生息していたのがゾウガメ。詳しい人は生息場所による個体の違いが分かることを知りました。その話からガラパゴス諸島には変種が分布していると考え始めます

ただこの時点では漠然とした気づきにとどまり、理論化されるまでには至りませんでした。変種の問題に着目した時期は、すでにビーグル号は帰国の準備に入っていました。そのためダーウィンの研究は途中で中断。そのままイギリスに変えることになります。

1859年にダーウィンは『種の起源』を出版

image by PIXTA / 33805000

ダーウィンは帰国後、ヘンズローの助けを借りながらビーグル号における調査やコレクションの整理を開始。研究発表を重ねながら科学の世界で知名度を高めていきます。そして徐々に、ダーウィンの代表作となる『種の起源』の原型が作り上げられていきました。

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