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孤高の非エリート科学者「ダーウィン」『種の起源』が与えた影響を元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。チャールズ・ダーウィンは自然の変化について記した『種の起源』の作者。自然界は、誕生から現在に至るまで変化しているという研究を発表した。彼の理論は自然を神の完璧な創造物と見なす聖職者を激怒させるのみならず学問の世界を震撼させた。

それじゃ、ダーウィンの種の理論が意味することや西洋キリスト教の思想との対立点を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。人類の歴史を考えるとき「ダーウィン」を避けて通ることはできない。「ダーウィン」は『種の起源』の出版により多くの議論を巻き起こした科学者。博物学のみならず文化にも大きな影響を与えた「ダーウィン」の進化論のインパクトを解説する。

チャールズ・ダーウィンとはどのような人物?

image by PIXTA / 9757937

ダーウィンはイギリス生まれの博物学者。生物や植物など自然の生命を広く研究した人物です。生物が形成されるプロセスを研究した「種の理論」を唱えたことにより自然科学の世界に革命を起こしました。そんなダーウィンの自然に対する強い関心は幼少期からすでに生まれていました。

イングランドの裕福な家庭に生まれたダーウィン

ダーウィンが生まれたのは1809年2月12日。イングランドにあるシュロップシャー州シュルーズベリーに住む、裕福な医師の父ロバート・ダーウィンと芸術家の母スザンナのあいだに生まれました。ダーウィンは、6人兄弟のなかの5番目の子どもでした。

ダーウィンは生物学に「進化」という概念を持ち込んだことで知られています。この「進化」の概念を最初に使い始めたのはダーウィンの祖父である高名な博物学者で詩人のエラズマス。2人の考えは同じではなく、ダーウィンは「ゆるやかな変化」と言い換え、祖父よりも長い期間を想定しました。

幼少期から博物学への興味を深める

ダーウィンは、子供のころから自然に対する興味が強く、父から与えられた庭などで植物の観察を熱心に行っていました。ダーウィンの兄は、科学実験に熱中していたことからダーウィンが実験を手伝うことも。子ども科学者の先輩である兄をダーウィンはとても慕っていました。

さらにダーウィンは、植物だけではなく鉱物や貝殻の収集も熱心に行うように。自然にかかわるものは何でも興味の対象となりました。そのような幼少期を過ごしたことで、その後のダーウィンの「種の理論」が生まれたと言ってもいいでしょう。

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世界史や生物の教科書に登場するのはチャールズ・ダーウィンだが、彼のおじいさんもその世界では歴史的な有名人だ。植物の世界を「詩」により表現した『植物の園』は、詩そのものよりも原注が多いという、学問と芸術を融合させた作品だった。

父親の意向により医師を目指した息子ダーウィン

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By Kim TraynorOwn work, CC BY-SA 3.0, Link

16歳になったダーウィンはエディンバラ大学に進学、父の医業を助けるために医学と地質学を学ぶようになります。しかし、自然に対する興味を深めていたダーウィンにとって、大学の講義や実験は退屈そのものでした。

エディンバラ大学で医学を学ぶものの落ちこぼれ

エディンバラ大学で医学を学ぶものの、基本的に医業に向いていなかったダーウィン。外科手術を見学しますが、血を見ることができませんでした。また、当時の医業では麻酔手術がなかったため、痛みに苦しむ患者の姿を見ることも、ダーウィンにとって苦痛そのものとなります。

さらに、自然のなかで観察・採集することが好きだったダーウィンは、教室で聞くだけの講義に興味を持つことができませんでした。そのため、大学になじめなかったダーウィンは、学位を取らずにエディンバラ大学を中退してしまいました。

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