壇ノ浦の戦いの結末
三種の神器のうち、実は天叢雲剣のレプリカは失われています。1185年の壇ノ浦の戦い、この戦いでは源氏に追い詰められた平家一門が京都を追い出された際、平家の血を引く安徳天皇と三種の神器を一緒に連れて京都を離れる一幕がありました。
安徳天皇は廃位を迫られて源氏に追われる身、しかし三種の神器がなければ皇位継承はできません。このため、安徳天皇が皇位についていることを望んだ平家一門は、皇位継承を妨げるために三種の神器を持ち出したのです。しかし、平家一門に既に勝機はなく、壇ノ浦の戦いには平家は源氏によって滅亡させられます。
安徳天皇はまだ8歳の子供、とは言え源氏に捕らわれたしまえば処刑は免れず、そのため母は「海の下にも都はあります」と諭すと、三種の神器と共に入水して自ら命を絶ちました。こうして、三種の神器は壇ノ浦の戦いにて一度は海の中に沈んでしまったのです。
こちらの記事もおすすめ
源氏と平氏の決着の時!「壇ノ浦の戦い」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説
天叢雲剣の行方
海に沈んだ三種の神器を必死に探す源氏、その甲斐あって八咫鏡と八尺瓊勾玉は何とか発見できました。無事発見されて皇居へと戻された八咫鏡と八尺瓊勾玉、しかしその一方で天叢雲剣だけはどうしても見つからず失われてしまったのです。
これには一説も語られており、元々ヤマタノオロチが持っていた天叢雲剣は、海に投げ出された時にヤマタノオロチが再び天叢雲剣を取り戻し、それを竜宮城に安置したと記される書物もあります。つまり、天叢雲剣は持ち主の元にかえっていったという解釈となる説です。
とは言え、天叢雲剣が失われたままの三種の神器、本来なら全て揃っていなければ皇位継承は不可能。しかし、安徳天皇の崩御によって皇位について後鳥羽天皇は三種の神器を揃えることなく皇位継承を行い、その後順徳天皇の時代に伊勢神宮より送られた剣を改めて天叢雲剣として祀ることになりました。
三種の神器の神話は一通り把握しておこう!
三種の神器の神話は、一つの物語として一通り把握しておきましょう。神話全てがズラリと出題されることはないですが、神話の理解は三種の神器の理解につながります。
例えば「なぜ天叢雲剣は草薙の剣とも呼ばれているのか?」、「なぜレプリカが存在するのか?」……これらの答えは神話の中で語られており、物語だからと言って無視すると全く理解できなくなるのです。