古代ギリシアには様々な学者がいたとされていて、学者たちが残した理論が今でも物理学や天文学などに用いられているようです。また現代のように一つの学問を専門とする学者ではなく物理・数・天文・哲学などの多様なことを学び世界に発信していたようです。

今回はその学者の一人だった第一級科学者としての評価を得ているアルキメデスを歴史マニアであり歴史ライターのwhat_0831と一緒に解説していきます。

ライター/what

歴史は好きなものの古代ギリシアについてはあまり調べたことがない…が、古代ギリシアに関する本などを読み込みアルキメデスの行ったことを解説していく。

文献に登場するアルキメデス

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アルキメデスの名前は今から約2300年前の古代ローマの人々によって残された文献で初めて登場しました。

アルキメデスの生い立ち

アルキメデスの存在は古代ローマの歴史学達によって記述された歴史書で確認されています。その歴史書にはアルキメデスの友人とされるヘラクレデイスが伝記を残したとすることは分かっておりますが現代では既に失われてしまい存在を確認することが出来ません。

生まれた場所に関しましては、紀元前278年のシチリア島の植民都市だった地中海最大の島とされるシラクサで生まれたとされています。当初は生まれた年代が不明でしたが紀元前278年と判明したのは、没した七十五歳の年齢から逆算してでした。

アルキメデスの友人

哲学者だったヘラクレデイスの他にも親しい友人がいたとされ、名をエラトステネスといい紀元前275年から194年にかけて活躍していたようでギリシャ人の学者でした。アルキメデスと同様に様々なことを学んでおり中でも数学と天文学に関しては後世大きな業績を残した人物でもあります。

親しかったことが記されているのが、アルキメデスの著作した「方法」(または「機械定理の方法」とも呼ばれる)に書かれていたエラトステネスに宛てた数学論文でした。主な業績としては、地球の大きさを初めて測定したことと素数を判定するエラトステネスの篩を発明し素数の存在を発見したことです。 

学者としての発明と発見

アルキメデスの学者として行ったことをみていきましょう。

物理学の法則

アルキメデスが発見したエピソードの中で一番有名なことがアルキメデスの原理でしょう。この物理学が発見されたきっかけは、王冠が作られたことからでした。

アルキメデスが住んでいたシラクサを収めていたヒエロン二世が、金の王冠が欲しいために金細工師に金を渡し王冠を作るよう命令していきます。ところが悪知恵を働かせていた金細工師は、渡された金を使わずに金以外の鉱物を混ぜ込み王冠を作成しました。

金細工の行いが噂されヒエロン二世の耳に入っていくとアルキメデスに噂が本当かどうか調査するよう依頼が入ります。色々と実験を試して王冠を調べていきましたが、思ったような結果が得られず困り果てていました。

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日常生活で王冠の違いを発見

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頭を悩まさせていましたが、アルキメデスはお風呂に浸かり一息ついていました。その時に自身がお風呂に入った際に水嵩が上がり縁からお湯が溢れてしまいます。この様子を見た時にアルキメデスは閃き金の王冠を水に沈めて増えた分の体積を比べれば違いが出るのではないかと考えました。

早く実験を行いたいと思ったアルキメデスは浴槽から直ぐさま飛び出し服を着ずに、必要な物を取りにいきます。そして金細工師が作成した王冠と同等の金の塊と銀の塊を沈め、銀の重量を変えていくと違いが出ることが確認されヒエロン二世へ報告しました。

明確な違いが明かにされたことで噂通り王冠は金と銀を混ぜて作れことが発覚し、作成した金細工師は死刑となります。

現代でも利用されているスクリュー

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コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Ellywaだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示-継承 2.5, リンクによる

現代の中で輸送する際に用いられているスクリュー。このスクリューの基礎を作ったのはアルキメデスだと著述家だったアテナイオスが書き残しております。スクリューを開発するに至った経緯はヒエロン二世が観光・運輸などを行える大型船の依頼をしたことからでした。

巨大船となると船が転覆しないような工夫が必要となり、船内に溜まってしまう水を掻き出す方法として考案された物がアルキメデススクリューと名付けられます。円筒の内部に螺旋状の板を回転させると低い位置から高い位置へと液体を運ぶことが可能となり転覆を防止する役割を担っていました。

また現代ではスクリューとして石や粒などの搬送に使用されています。

敵船団を撃退

アルキメデスは学者でありながら船に乗り敵国が攻めてきた際に、共に防衛を行っていたようです。そして船を撃退するために攻撃用の兵器を港に取り付け撃退していました。

その時に作成された物がアルキメデスの鉤爪です。クレーン状の形をした物の先端にフックが備わっていて、敵船がフック先端付近に近づいた際に人の手で末端のロープを引くとフックが持ち上がり、船のバランスが崩れ横転させるというものです。

その他にも熱取りレンズを集めて、太陽の熱を敵船に集中させ火災を発生させ撃退した逸話が残されており十四世紀以降に長らく議論されていましたが2005年に条件さえ揃うことが出来れば火災を起こすことが可能であると判明しました。

数学者としての一面

現代で用いられている円周率は既にこの時代でも用いられて、アルキメデスは円周率の答えを導き出していました。古代人の方法とも呼ばれていた取り尽くしの方を使い図形の面積や体積を求め円周率の近似値を導き出します。また円周においても1.73と現代とほぼ変わらない数値を導き出していましたが、結論だけしか残されておらず途中の過程や計算などは一切書かれておりませんでした。

数学者だったジョン・ウォリスは後世に過程などを導かせるためにわざと結論だけ残したともいわれています。その他にも流体静力学の基礎を構築したといわれ、この本質も説明することが出来たとされていました。流体静力学もアルキメデスが生み出したアルキメデスの原理ですが、十六世紀に哲学者だったブレーズ・パスカルによって拡張されパスカルの原理とも呼ばれているようです。

戦いにも身を投じていた

様々な発明をして実用させた戦いがあり、アルキメデスもまた防衛する一人として参加していました。

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ポエニ戦争

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紀元前219年から201年にかけて古代ローマとカルタゴの間では領土争いを繰り広げて、イタリア・北アフリカ・ヒスパニアの場所で戦争が行われていました。アルキメデスが生まれたシラクサは古代ローマにもカルタゴに属さない独立していましたが、傭兵部隊の介入によって古代ローマ側が優位となり服従することになっていきます。

シチリア島が古代ローマの手に落ちたことで、カルタゴはやむを得ず海上の覇権争いからも撤退していき一時的に弱体化していきました。しかし紀元前221年にハンニバル・バルカがカルタゴの将軍に就くと古代ローマへ攻撃を行う準備を着々と進めていきます。ハンニバルは幼少期から古代ローマを憎悪するように教育されていました。

紀元前219年にハンニバルの逆襲が始まり、古代ローマの同盟国を攻撃していくと攻撃を停止するよう古代ローマ側から申し入れがありましたがそれを無視し宣戦布告をしていきます。

敵の意表を突く

ハンニバルの宣戦布告によって、二回目のポエニ戦争が幕を開けました。海上圏を制圧することが難しいと判断したハンニバルは、古代ローマの防御が手薄場所を狙うためにアルプス山脈を越える奇策を講じていきます。冬のアルプスということもあり四万にいた兵は約二万五千人まで減少してしまい、ケルト人と争いで更に兵力を欠いてしまいました。

苦境を超えてきたハンニバルはようやくアルプス抜けてイタリア北部まで、進軍しており突如現れたカルタゴを見た古代ローマは動揺していきます。そして古代ローマとカルタゴはトレビア川を挟んで戦い兵を伏せていたカルタゴが勝利しました。この勝利によりカルタゴの名が一気に広がり反ローマ派がカルタゴに味方していきます。

カルタゴの敗北

トレビアの戦いを皮切りに勢いのあったカルタゴでしたが、第一次ノラの戦いで敗北していくと劣勢になっていきました。古代ローマの軍人だったマルクス・クラウディウス・マルケッルスが無敗と名高いハンニバルを打ち破り、勢いに乗った古代ローマはシラクサを陸からも海からも包囲していきました。

要塞として名高いシラクサは、防衛担当者だったアルキメデスの発明品によって多くの敵を撃退しており古代ローマも苦戦を強いられていきます。

自宅で研究に没頭した際に殺害される

包囲されていたことでカルタゴからの援軍を頼ることが出来ずに、自力で古代ローマと戦わなくてはいけない状況となるもアルキメデスのおかげで防衛することが出来ていました。古代ローマを何度も撃退していたシラクサの人々は祭りごとを開催し油断していきます。その隙を狙った古代ローマは祭りに参加し守りの手が薄くなったところで味方を招き入れ外郭部が陥落してしまいました。

多数の古代ローマの兵がシラクサ外郭に侵入し制圧していく途中で、アルキメデスの自宅に押し入り研究の邪魔をするとアルキメデスは激しく抗議。しかし抗議をする無抵抗のアルキメデスに兵士は斬りかかり殺害されてしまいます。

研究の成果

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数多くの著者を残したとされるアルキメデスでしたが、現存しているのはごくわずかとされています。

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アルキメデス・パリンプセスト

この時代においてはアルキメデスが著述はあまり有名ではありませんでしたが、建築のミレトスらによって多くの国へ広まっていき科学者達に大きな影響を与えていきました。最近発見された著述がアルキメデス・パリンプセストと呼ばれイスタンブールの前身だったコンスタンティノープルで山羊皮紙の祈りの書を調査した時にアルキメデスが著述したものであると判明します。

またパリンプセストにはアルキメデスが考えた論文が七つも書かれており、十世紀頃にこの地に渡った際に誰かが上書きしていたためアルキメデスの著述が消されていました。現在では米国のメリーランド州で保管されていて隠された文字を解明するべく最新鋭の技術を駆使して調査を行っています。

後世に大きな影響を与え人類の進歩させた一人

今から数千年以上前の人物によって古代から近代の科学者達に大きな影響を与えられたことは、本当に素晴らしいことであり時代が流れるにつれ新たな発見へと繋がっていきました。アルキメデスだけではありませんがこの時代に何故これだけの研究や発明をすることが出来たかを考えてみましょう。

それは日ごろから何気なく接していることを疑問に思い、好奇心に搔き立てられそれを知り得たい気持ちがあったからこそ研究などの成果を残すことが出来たのだと思います。最後は無惨にも兵に斬られてしまう形で一生を終えてしまいましたが、最後の最後まで高齢でありながら研究に熱心な姿と研究に対する熱い感情をもっていたアルキメデスでした。

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ギリシャヨーロッパの歴史世界史古代ギリシャ歴史

古代ギリシアの第一級科学者「アルキメデス」功績や生涯を戦国通サラリーマンが徹底わかりやすく解説

古代ギリシアには様々な学者がいたとされていて、学者たちが残した理論が今でも物理学や天文学などに用いられているようです。また現代のように一つの学問を専門とする学者ではなく物理・数・天文・哲学などの多様なことを学び世界に発信していたようです。

今回はその学者の一人だった第一級科学者としての評価を得ているアルキメデスを歴史マニアであり歴史ライターのwhat_0831と一緒に解説していきます。

ライター/what

歴史は好きなものの古代ギリシアについてはあまり調べたことがない…が、古代ギリシアに関する本などを読み込みアルキメデスの行ったことを解説していく。

文献に登場するアルキメデス

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アルキメデスの名前は今から約2300年前の古代ローマの人々によって残された文献で初めて登場しました。

アルキメデスの生い立ち

アルキメデスの存在は古代ローマの歴史学達によって記述された歴史書で確認されています。その歴史書にはアルキメデスの友人とされるヘラクレデイスが伝記を残したとすることは分かっておりますが現代では既に失われてしまい存在を確認することが出来ません。

生まれた場所に関しましては、紀元前278年のシチリア島の植民都市だった地中海最大の島とされるシラクサで生まれたとされています。当初は生まれた年代が不明でしたが紀元前278年と判明したのは、没した七十五歳の年齢から逆算してでした。

アルキメデスの友人

哲学者だったヘラクレデイスの他にも親しい友人がいたとされ、名をエラトステネスといい紀元前275年から194年にかけて活躍していたようでギリシャ人の学者でした。アルキメデスと同様に様々なことを学んでおり中でも数学と天文学に関しては後世大きな業績を残した人物でもあります。

親しかったことが記されているのが、アルキメデスの著作した「方法」(または「機械定理の方法」とも呼ばれる)に書かれていたエラトステネスに宛てた数学論文でした。主な業績としては、地球の大きさを初めて測定したことと素数を判定するエラトステネスの篩を発明し素数の存在を発見したことです。 

学者としての発明と発見

アルキメデスの学者として行ったことをみていきましょう。

物理学の法則

アルキメデスが発見したエピソードの中で一番有名なことがアルキメデスの原理でしょう。この物理学が発見されたきっかけは、王冠が作られたことからでした。

アルキメデスが住んでいたシラクサを収めていたヒエロン二世が、金の王冠が欲しいために金細工師に金を渡し王冠を作るよう命令していきます。ところが悪知恵を働かせていた金細工師は、渡された金を使わずに金以外の鉱物を混ぜ込み王冠を作成しました。

金細工の行いが噂されヒエロン二世の耳に入っていくとアルキメデスに噂が本当かどうか調査するよう依頼が入ります。色々と実験を試して王冠を調べていきましたが、思ったような結果が得られず困り果てていました。

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