その辺のところを外国人の日本研究者に目のないあんじぇりかと一緒に解説していきます。
- 1-1、エドウィン・ライシャワーは日本の東京生まれ
- 1-2、ライシャワーの少年時代
- 1-3、ライシャワー、アメリカの大学へ
- 2-1、ライシャワー、学究生活へ
- 2-2、ライシャワー、太平洋戦争前の不穏な状況の極東で研究を
- 2-3、ライシャワー、第二次世界大戦で日本通として関わる
- 2-4、太平洋戦争後のライシャワー
- 2-5、ハーバード大学極東学会会長
- 2-6、ライシャワー、松方ハルと再婚
- 3-1、ライシャワーの論文が政治家に注目され、駐日アメリカ大使に
- 3-2、ライシャワー、積極的に日本国民と交流
- 3-3、ライシャワー事件勃発
- 3-4、ライシャワー、ハーバード大学へ帰任
- 3-5、ライシャワーの晩年
- 4-1、ライシャワーの逸話
- 4-2、京都の爆撃回避について
- 4-3、ライシャワー発言
- 4-4、日本語が達者
- 日本生まれを誇りにした日本学者で大使となって両国の架け橋になった
この記事の目次
ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女。外国人の日本研究者には興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、エドウィン・ライシャワーについて5分でわかるようにまとめた。
1-1、エドウィン・ライシャワーは日本の東京生まれ
エドウィン・オールドファーザー・ライシャワーは、明治43年(1910年)10月15日東京で誕生。父は、キリスト教長老派教会宣教師で、新渡戸稲造や安井てつと共に、東京女子大学創立に関わったオーガスト・カール・ライシャワー、母は日本最初の日本聾話学校を設立したヘレン・シドウェル、きょうだいは3歳上の兄ロバート・カールと妹フェリシア。
ライシャワー家はオーストリア系移民で、祖父は南北戦争で北軍に従軍した人で、父は長老派教会の宣教師として日本に派遣。尚、ライシャワーの生家だった明治学院内宣教師住宅は、東京都東村山市の明治学院東村山高等学校敷地内へ移築されたそう。
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1-2、ライシャワーの少年時代
ライシャワーは、兄と共に小学校と中学校をアメリカ人向けの築地のアメリカンスクール・イン・ジャパン で学んだそう。ライシャワーによると、日本生まれのアメリカ人の子供は、「ボーン・イン・ジャパン」と呼ばれたということで、かなり誇らしい、自慢になることだったということ。ライシャワーは、アメリカンスクール・イン・ジャパン在学時、現在まで残る校内新聞の「ランタン」の創刊に関わり、スポーツにも熱心な子供だったと言いうこと。
尚、大正12年(1923年)の関東大震災時、ライシャワーは軽井沢にいて被害を免れたということで、軽井沢に疎開で訪れる被災者を家族や知人らと軽井沢駅で支援したそう。また、カナダ人外交官で日本研究家、後にスパイの疑いをかけられて自殺したエドガートン・ハーバート・ノーマンは、当時軽井沢で一緒にテニスをした知人。
1-3、ライシャワー、アメリカの大学へ
日本在住の欧米人の子弟は、高等教育は母国で受けさせることになっているのですが、ライシャワーも昭和2年(1927年)に家族とともにアメリカに帰国してオバーリン大学に入学、「1860年以前の日米関係」という論文を書いて卒業後、ハーバード大学文理学部の大学院に進学。後にライシャワーはハーバード大学教授となったが、昭和56年(1981年)4月22日の最終講義で、「私がここに初めて来たとき、東アジア研究に興味を持っていた大学院生は私と兄の2人しかいなかった」と回顧したということ。
2-1、ライシャワー、学究生活へ
ライシャワーは昭和8年(1933年)、ハーバード燕京研究所所長で、数少ない日本文学者であったセルゲイ・エリセーエフに、設立計画中の極東言語学部で日本語の講師にならないかとの依頼を受け、フランスと日本、中国で研修のために、パリにある国立現代東洋語学校へ行き、日本語と中国語を学んだということ。
ライシャワーはヨーロッパ留学中、オランダやオーストリア、ドイツ、チェコ、スロヴァキア等を旅行、ドイツでは、レーム事件の現場に居合わせたそう。ライシャワーは後に、オーストリアのザルツブルクの丘の上の古城からの風景が、日本の城下町に似ていることから日本とヨーロッパの歴史の類似性と日本の近代化と封建時代の重要性を考えるようになったと回想。
レーム事件
1934年6月 30日、ドイツのアドルフ・ヒトラーが (ナチス突撃隊) 隊長 E.レームなどのナチス党内の反ヒトラー分子や左派分子をH.ゲーリング、H.ヒムラーらの協力のもとで粛清、政権を掌握したヒトラーの地位が確立された事件。
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