日本史明治歴史

強国・ロシアへの宣戦布告「日露戦争」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

今日は日露戦争について勉強していきます。明治時代になると日本は外国と対等に渡り合えるよう近代化を目指し、1894年に起こった清国との日清戦争では圧勝という形で見事勝利した。

そしてそれから10年後の1904年、今度はあのロシアと戦争することになるのです。そこで今回、日露戦争について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から日露戦争をわかりやすくまとめた。

日清戦争後のロシアの圧力

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遼東半島を巡る三国干渉

朝鮮半島の支配権を巡って1894年に行われた日清戦争、その戦いに勝利した日本は翌1895年に清国と下関条約を締結して台湾・澎湖諸島・遼東半島を手に入れました。しかし、日本の領土が拡大されたと思われた矢先に圧力をかけてきたのがロシア、なぜならロシアもまた遼東半島を領土にしようとしていたからです。

そこでロシアは日本に対して遼東半島を清国に返還するよう要求、さらなる日本への圧力としてドイツ・フランスも加えた三国で日本に対して遼東半島の返還を求めたのでした。これを三国干渉と呼び、ロシアのみならずドイツ・フランスまで加わった圧力に屈した日本は仕方なく要求に応じます。

遼東半島の返還後、待ってましたとばかりにすかさず動いたのがロシア。遼東半島を租借地(そしゃくち)として手に入れ、さらにその近くに鉄道を建設する権利まで得たのです。そこまでしてロシアが遼東半島を欲しがったのは、凍ることなく年中貿易ができる不凍港を手に入れるためでした。

日本のロシアへの怒りと清国の異変

日清戦争はもちろんロシアとは無関係、それにも関わらず下関条約による遼東半島の日本への譲渡に横やりを入れ、挙句の果てに日本が返還した遼東半島を半ば自らの領土にしています。さらにロシアは南下政策を行って朝鮮・清国のある南へと進出していき、日本をなお威圧して見せたのでした。

さて、日本からすればそんなロシアの行動は身勝手極まりなく、当然激しい敵対感情が芽生えていきます。日本の中では「ロシアを倒せ!」の声が高まり、そこで日本は日清戦争で清国から得た多額賠償金を軍事力強化に費やし、来たるべきロシアとの対決の日に備えていたのです。

そんな矢先となる1900年のこと、中国の清国にて義和団と名乗る宗教団体が外国人を退ける運動を行い始めます。そして内乱の末、清国はイギリス・フランス・オーストリア・ロシア・日本・英領インド・アメリカ・イタリアらに宣戦布告するというとんでもない行動に出るのでした。

義和団事件の影響

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