明治時代の始まり
徳川慶喜は自身を骨抜きにする倒幕派の策を全てかいくぐり、新政権に参加する話が出るまでに至りました。もちろん倒幕派からすればそれは許されざること、そのため薩摩藩は西郷隆盛を中心に徳川慶喜を巧みに挑発、そしてとうとう戊辰戦争が勃発したのです。
京都へと進軍した旧幕府軍は鳥羽街道にて薩摩藩兵と衝突、この鳥羽伏見の戦いが戊辰戦争と呼ばれる大きな戦いへと発展したのでした。徳川家康が全国統一して開いた江戸幕府でしたが、幕末では既に力も権威を失っており、戊辰戦争は新政府軍に無残な敗北を喫します。
そして訪れる明治政府による新たな時代、結局は公武合体の意見も尊王攘夷の意見も実現はしませんでした。しかし明治維新に飛び交った二つの思想は明治時代の中でその形を変えつつも、明治時代において確かな影響を与えることになっていくのです。
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公武合体が自由民権運動に与えた影響
江戸時代の面影が消えつつある明治時代、公武合体論も衰退していきますが、内戦の回避・議会の開催などの考え方は、明治時代になっても受け継がれていきました。そして、板垣退助も影響を受けた一人であり、その影響は自由民権運動へとつながっていきます。
憲法制定、議会開設、選挙実施、政党政治確立、言論や集会の自由、いくつもの政治的改革を謳った自由民権運動は盛り上がりを見せ、ついには帝国議会が開かれるほどの成果を挙げたそうです。江戸時代の幕末、開国によって日本の将来を案じた人々は公武合体と尊王攘夷の思想
を誕生させます。
公武合体も尊王攘夷もやがては倒幕の結論に辿り着きました。しかし、二つの思想の影響は消えておらず、尊王攘夷は幕府の時代が終わって明治政府が誕生するための原動力へ、そして公武合体は明治時代における憲法制定や帝国議会開設につながっていったのです。
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公武合体運動を理解するなら幕末の薩摩藩に注目しよう!
公武合体運動を覚えるには薩摩藩に注目するのがポイントです。実際には幕府や譜代大名もこの思想を支持していましたが、思想の根底にある考えや倒幕への変化を掴むには幕末の薩摩藩を覚えるのがベストでしょう。
また、公武合体・公武合体論・公武合体派・公武合体運動……公武合体に関連する用語は複数あります。ただ、これらの使い分けはあまり気にせず、「公武合体」という一つの思想として捉えれば良いですよ。

















