幕末日本史歴史江戸時代

朝廷と幕府の協力を示す思想「公武合体運動」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

今日は公武合体運動について勉強していきます。江戸時代、ペリーが黒船で来航して以来日本では尊王攘夷運動が活発となって外国人を追い払おうとした。

天皇中心の政治を求めるその思想は反幕とも受け取れるが、一方で朝廷と幕府が協力すべきという考えも生まれた。そこで今回、公武合体運動について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から公武合体運動をわかりやすくまとめた。

尊王攘夷と公武合体

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幕府と外国への不満から生まれた尊王攘夷

ペリーが黒船来航で来航したのをきっかけに日本は1854年の日米和親条約にて開国、さらに1858年には日米修好通商条約を締結させます。しかし、日本はこれまで鎖国と呼ばれる幕府の対外政策によって200年以上も外国との交流を遮断しており、そのため外国との交流は多くの日本人にとって望まないものでした。

これまで外国と一切交流がなかった日本人にとっては「外国=敵」のイメージが根付いており、しかも締結させた日米修好通商条約は明らかな不平等条約です。そのため当然外国を良く思うはずはなく、人々の間で外国人を追い払おうとする攘夷運動が急速に広まっていきます。

さて、人々の不満と怒りは外国だけではなく、幕府に対しても向けられました。何しろ不平等条約となる日米修好通商条約を締結させたのは幕府ですし、それも天皇に無許可で条約に調印していたのです。そのため、人々が幕府に不満を抱くのは当然と言えるでしょう。

朝廷と幕府の協力を望む公武合体

ここに一つの思想があります。その思想とは尊王論……「王を尊ぶ」の言葉が示すとおり、それは天皇を尊ぶ思想です。そんな尊王論はいつしか攘夷の思想と結びつき、尊王攘夷と呼ばれる新たな思想が誕生します。外国を追い払って天皇中心の政治を行うべきと考えるその思想は、反幕と言い換えることもできました。

そして徐々に過激化する尊王攘夷運動、しかし誰もが尊王攘夷を思想としていたわけではありません。中には朝廷と幕府が協力して政治を行うべきという思想を持つ者もおり、その思想は公武合体と呼ばれるもので、尊王攘夷と共に江戸時代の幕末に広まっていきました。

朝廷を意味する「公」、武士を意味する「武」、それぞれ協力して一つになるという意味で公武合体です。尊王攘夷と対称的な思想である公武合体……その運動をすすめていたのは幕府・薩摩藩・譜代大名でしたが、ただそれぞれの思惑は全く異なるものでした。

公武合体をすすめる本音

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