日本史

雲海にそびえ立つ「竹田城」を戦国通のサラリーマンが5分で徹底解説

またも毛利氏に服従する

一旦は信長に降っていた山名氏でしたが、毛利氏と織田氏の関係が悪化していくと再び毛利氏に服従をしていきました。度重なる同盟破棄をされたことで信長は播磨一帯の諸将を制圧するために秀吉を派遣していきます。

竹田城領内には生野銀山があり銀や銅が産出されていて、この領内を掌握することで秀吉の金情勢を豊かにしようとしていました。武功夜話には三日間の攻防が太田垣氏と羽柴秀長によって繰り広げられていて高所を生かして石などを落下させ一時は優位となっていましたが、鉄砲三百丁の攻撃に合い耐え切れないと判断した太田垣氏は降伏していきます。

これにより太田垣氏は没落していき播磨国へ落ち延びました。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

武功夜話は作者が不明で正確に誰がいつ頃書かれたかは分からないため信憑性が欠けているようだ。しかし肯定派の意見も多くあるようで研究者の中で意見が分かれているようだな。

関ヶ原の戦い

太田垣氏が没落していったことで、秀長が竹田城主に一時期なっていましたが播磨国の将を降伏させていくために拠点としていき次々と秀吉に降伏していきました。降伏したことにより龍野城主だった斎村政広が竹田城主となり現存している竹田城へと改修していきます。

その後に石田三成と徳川家康により関ヶ原の戦いが行われ西軍が敗北すると東軍に加担し、旧知の仲だった亀井茲矩と共に鳥取城攻めに加わっていきました。しかしこの鳥取城攻めの際に城下に不必要に火を放ったとして責を家康から咎められ自害し果てた後に山名氏に返還されていきます。

そして最後には、幕府の方針により廃城が決まり取り壊されていきました。

天空の城と名付けられていく観光名所

image by PIXTA / 11912248

以前はあまり人気のない城でしたが、日本百名城へとなった際に人気の観光名所となっていきました。

晩秋になると雲海が発生

山城ということもあり山間部に築かれていた城のため、雲海が発生しやすい条件を備えていました。雲海の発生条件には放射冷却により地表が冷やされ地表付近の空気も冷やされていったことなどの条件が合わさり発生します。

必ずしも条件が揃っていたとしても発生するわけではありません。ただ竹田城が築かれている場所は比較的に放射冷却が起こりやすいため雲海が見られる機会は多くあるでしょう。

雲海があまりにも美しい姿から日本のマチュピチュとも呼ばれ更に観光名所として人気となっていきました。また2012年に自然に囲まれた土地として恋人の聖地に認定されたことより一層人気な場所となっていきます。そして雲海だけでなく春は桜が見ることが出来て夏は新緑を冬は白銀の世界で石垣を見ることが出来るでしょう。

次のページを読む
1 2 3 4
Share:
what_0831