日本史昭和歴史

日本人となった「ドナルド・キーン」日本文学と日本文化研究の第一人者について歴女がわかりやすく解説

3-5、キーン先生、母校コロンビア大学の教授に

キーン先生は、昭和30年(1955年)からコロンビア大学助教授、のちに教授となり、以後、一年を半分ずつアメリカと日本で過ごすように。そして18巻の「日本文学史」を1976年から1997年にかけて執筆、完成。また、古典の「徒然草」、芭蕉の「奥の細道」、近松門左衛門、現代作家の三島由紀夫、安部公房などの著作も多数英訳されたそう。また、日本人の日記を取り上げた「百代の過客」やエッセイなども多数出版し、「明治天皇史」も執筆するなど、精力的に活動を続け、菊池寛賞受賞など数々の賞も受賞したということ。

3-6、コロンビア大学日本文化センターにキーン先生の名前が付けられる

1986年、コロンビア大学にドナルド・キーン日本文化センターが設立され、2006年に、コロンビア大学50周年祝賀会が開かれたときは、世界各地で日本文学の教育、研究、翻訳などに従事している人が集まり、自分が最初に日本文学に出会ったのはキーン先生の「日本文学史」だと口々に言ったということで、キーン先生は大変喜ばれたそう。

3-7、キーン先生、日本に帰化

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Aurelio Asiain from Hirakata-shi, Osaka, Japan – Flickr photo Donald Keene at his Tokyo home, CC 表示-継承 2.0, リンクによる

キーン先生は2011年の東日本大震災で、外国人が多く日本を脱出するのを見て、日本人の心に寄り添いたいと日本に帰化することを決意。また、2012年の日本国籍取得と同時に、古浄瑠璃の再発見が縁で浄瑠璃三味線奏者の誠己(せいき)を養子に迎え、家族が出来たということ。

2019年2月24日、心不全のため東京都の病院で96歳で死去。

キーン先生のユニークさ
日本人ほど日記を好む民族はないと、古今の日記を集めて取り上げた代表作のひとつ「百代の過客 日記にみる日本人」では、キーン先生は最初にばしっと「日記は読者を想定して書いたもの」と断定、読者は有名無名の他人の日記を見る後ろめたさから解放され、同時に日記に対しての新しい見方の発見に目を見張らされるわけで、これは日本人にない客観的な見方ではないかと。

また、「日本人と日本文化」司馬遼太郎氏との対談集では、あの有名なオランダ語辞書ズーフ・ハルマを津和野で見たということで、「例文の豊富さにびっくりしました。よく出来ている。あれほど例文の多い辞書は少ないし、手書きの字がきれいで今はあんなきれいな洋文字に書ける人はいない」と感想を(キーン先生はオランダ語を学び、江戸時代の蘭学についての著書もあるそう)。

そして司馬遼太郎氏によれば、キーン先生は「日本には英雄がいない」と断言、英雄というのはナポレオンやアレクサンダー大王のように大虐殺とかも行った人のことを意味するが、日本にはそこまでのすごいことをする専制君主がいなかったということ。

こう言った具合に、キーン先生は世界の文学に精通したうえに日本文学や歴史、文化を熟知しているので、日本人が及ばない客観的な見方が出来るユニークさが魅力では。

客観的に日本文学について評論が出来た不世出の文学研究者

ドナルド・キーン先生は、アメリカ生まれでフランス文学で学士号を取得、そして中国文学から日本文学へと興味を広げて研究されました。太平洋戦争時も日本を嫌うどころか日本語を勉強してますます親しみと興味を持ったくらいで、戦後は京都に留学し、歴史に残る文豪たちと実際に知り合うなどかなり貴重な体験も。

そして英語で日本文学についての著書をあらわし、翻訳もされて、世界に日本文学を紹介し、また外国文学と比較した評論でわれわれ日本人にも日本文学を客観的に解説するという相互作用をもたらされたというのは大変な偉業。

しかし以前は日本人が同じようなことを書いてもだめだが、外国人だから取り上げられる、所詮外国人に日本の情緒はわからないという見方をした人がいたし、キーン先生は大好きな日本で外国人だからと嫌な対応をされたりもあったはずですが、もういまや日本文化が特別で外国人には理解できないなどというのはたわごととなっていて、普通の日本人が知らないことを熱心に外国人が学んでいることは数えきれないほど。今後もキーン先生の著書を読んで日本文学、日本文化に興味を持つ人が世界中からあらわれることは確実でしょう。

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