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ルイ14世とマリア・テレサ結婚のきっかけ「ピレネー条約」とは?経緯やその後を歴女がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回はピレネー条約についてだ。

ピレネー条約とは、三十年戦争後もフランスとスペイン間で続いた戦争に終止符が打たれた条約なんだ。この条約によって敗戦国スペインから王女、マリア・テレサがフランスのルイ14世のもとに嫁ぐことになった条約でもある。

しかしなぜピレネー条約が結ばれることになったのかの経緯やその後について歴女のまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

世界史が大好きなアラサー歴女。特にヨーロッパの王家に関する書籍を愛読中!今回は三十年戦争後も継続されたフランス、スペイン間で結ばれたピレネー条約について解説していく。

1 三十年戦争

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フランスとスペインが争うことになったきっかけは1618年から始まった三十年戦争でした。ここではピレネー条約を両国が結ぶきっかけとなったこの戦争について解説していきます。

1-1 三十年戦争とは

最大にして最後の宗教戦争と呼ばれている三十年戦争。この戦争の背景には、ドイツの宗教対立がありました。もともとは神聖ローマ帝国領内の紛争が次第に他国の介入により、ハプスブルク家率いるカトリック勢力とプロテスタント勢力の戦争となることに。更にヨーロッパの覇権を巡ってカトリック国のフランスが同じくカトリック国のスペインに対して宣戦布告する事態となりました。

三十年戦争は大きく分けて4つの段階に分けられ、ボヘミア・プファルツ戦争デンマーク・ニーダーザクセン戦争スウェーデン戦争フランス・スウェーデン戦争と呼ばれることに。では1つずつ見ていきましょう。

1-2 ボヘミア・プファルツ戦争

三十年戦争のきっかけとなったのは、プラハで起こった窓外放擲事件。これはボヘミアの新王となったフェルディナント信仰の自由を認めないとしたため、それに怒ったプロテスタント貴族らがプラハ城に押し寄せて、2人の役人を窓から突き落とした事件。当初神聖ローマ皇帝のマティアスは内戦を避けようと試みますが、フェルディナントらの反対に遭い断念。その後失意のうちに亡くなりました。

情勢を見ていたボヘミア側はチェコやオーストリアの一部の貴族らと連合を結び、フェルディナントの廃位を宣言。そして彼の代わりにプファルツ選帝侯フリードリヒ5世を選出。更にハンガリーとも同盟を結びました。対する皇帝側は初めのうちは苦戦するものの、ポーランド、スペインからの援軍や援助、バイエルン(カトリック勢力)からの加勢によって優位に戦いを進め、勝利しました。

1-3 デンマーク・ニーダーザクセン戦争

自信をつけたフェルディナントはバイエルンを誘って、北ドイツへ侵攻することに。これに対してデンマーク王のクリスチャン4世プロテスタントの保護を掲げて参戦。ちなみにデンマークのバックにはフランス、オランダの影が。これはハプスブルク家の勢力拡大に危機感を感じていたため。

戦況は皇帝側にヴァレンシュタイン率いる軍とティリーが率いる連盟軍とデンマーク軍が激突。4年ほど続いた戦争はフェルディナント側の勝利に終わることに。

1-4 スウェーデン戦争

2つの大きな戦争に勝利したフェルディナントは、再カトリック化と皇帝絶対主義を掲げて、1629年に復旧勅令を出しました。これはアウクスブルクの宗教和議で決めた内容を反故にしたもので、これによって更に戦争が長引くことに。

スウェーデン戦争はその翌年に起こりました。フェルディナントの出した復旧勅令は宗派を問わず非難されることに。皇帝はこの勅令の撤回だけでなく、ヴァレンシュタインの罷免までも求められます。皇帝は一部の要求を受け入れ、ヴァレンシュタインを罷免。しかしそんな中でスウェーデン王、グスタフが参戦。スウェーデン軍は次々に勝利を重ね、ついにドイツ南部まで進出することに。これに焦ったフェルディナントはヴァレンシュタインを再度起用。両者はリュッツェンで戦い、スウェーデン軍が勝利。ところがグスタフが戦死したことで統制が取れずに崩れていくことに。しかし皇帝側もヴァレンシュタインが勝手に敵国と和平を結ぼうとして皇帝に処刑されることに。両者の陣営はゴタゴタすることになりますが、先に立て直すことに成功したのはフェルディナント側でした。スペインからの援軍を得ることができ、1634年のネルトリンゲンの会戦で大勝しました。

\次のページで「1-5 フランス・スウェーデン戦争」を解説!/

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