
2-5 ルーベンスによる「マリーのマルセイユ上陸」
ピーテル・パウル・ルーベンス – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる
さて、余談ですがアンリ4世の再婚相手となったマリーについて。マリーは3男3女に恵まれることに。彼女は27歳の時にアンリのもとへ嫁いできました。その時の様子をマリーは巨匠ルーベンスに依頼して描かせ、更にマリー・ド・メディシスの生涯というタイトルで20もの作品を描かせることに。
この画像は「マリーのマルセイユ上陸」。マリーがガレー船から多くの従者と共にマルセイユへ到着した様子が描かれていますね。しかしここでひときわ目を引くのが、ヒロインではなく画面下で海の中で船を引く裸体のニンフたち。更にニンフだけではなく、ポセイドンやほら貝を吹いているトリトンもいます。またマリーを出迎えているのは人ではなく擬人像。フランスの紋章である百合が描かれた青いマントから彼はフランスの擬人で、その隣の女性はマルセイユの擬人。とてもドラマティックな仕上がりとなっていますね。
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2-5 ルイ14世、ナントの勅令を廃止
Henri-Paul Motte – Musée d’Orbigny Bernon, パブリック・ドメイン, リンクによる
アンリ4世が56歳でこの世を去った後もナントの勅令はそのまま廃止になることなく続いていました。フランスはカトリック国でしたが、ナントの勅令によって国内で2つの宗教が認められる状態に。しかしプロテスンタント側にとってカトリックよりも勅令は不平等な内容だったため、一部では新教からの抵抗が続くことに。これに対してルイ13世とリシュリューはプロテスンタントらを弾圧。またその次の王、ルイ14世の時代になると1685年にナントの勅令は廃止されることに。この廃止によって多くのプロテスンタントらは、フランスから世界(英国、米国、オランダ、スイス、ドイツ)へと亡命することに。
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ナントの勅令によってユグノー戦争が終結
ユグノー戦争の終結を図るため、アンリ4世によって公布されたナントの勅令。これによって制約はありましたが、プロテスンタントの信仰の自由が認めれれることに。そのため、アンリ4世は歴代のフランス王の中でも善王と呼ばれ、人気のある国王の1人として数えられています。しかしそんなアンリ4世も、改宗した後、狂信的なカトリック教徒に暗殺されることに。その後のフランスは、国家統一を進めるためにプロテスタントを弾圧しました。特にルイ14世の時には、フォンテーヌブロー勅令を発布し、ナントの勅令は廃されることに。こうしてフランス国内のプロテスンタントらは国外へ亡命ししたため、国内の産業は衰退することになりました。