日本史歴史飛鳥時代

日本が目指した律令国家「大宝律令」について元塾講師が分かりやすく5分で解説

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大宝律令は大宝元年に制定されたことでそう呼び、大宝とは元号を意味する。律令の「律とは刑法」、「令は刑法以外の法律」、すなわち大宝律令は大宝元年に定められた法律だ。そして、その下地作りは50年前から行われてきた。

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大宝律令と「律」の詳細

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大宝律令の完成

681年の飛鳥浄御原令では律令における「令」の部分は制定されていました。しかし中国の唐にならいすぎたためか、その性質があまりにも唐のものに偏っており、日本では上手く機能せず浸透することなく終わってしまいます。つまり飛鳥浄御原令は失敗したと言えるでしょう。

失敗は成功のもと、「今度こそ成功させる!」とばかりに律令作りに取り掛かったのが天武天皇の息子・刑部親王(おさかべしんのう)でした。刑部親王は20年もの歳月をかけていよいよ律令を完成させ、その完成した律令こそ大宝律令です。こうして日本で初めての律令が完成、日本は律令国家として成立することになりました。

思えば天皇中心の律令国家を目指したきっかけは中国の唐を意識したためで、その意味で大宝律令の完成は「唐と対等に渡り合える天皇中心の中央集権国家成立」が目的だったのです。大宝律令の制定により、その後日本は中央集権国家への道を進んでいきます。

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「律」・五刑八逆

では、大宝律令の中身を見ていきましょう。まずは刑法を意味する「律」の部分で、そこで定められていたのは五刑と八虐です。五刑とは5つの刑罰、笞刑・杖刑・徒刑・流刑・死刑になります。 笞刑とは細い竹の棒で叩くこと、杖刑とは太い木の杖で叩くこと、徒刑とは懲役刑に相当するものです。

流刑は文字からイメージしやすいと思いますが島流し、死刑は現在のものと同じですね。どれも恐ろしい刑罰ですが、ただ一つ不公平な点があり、それはこれら五刑は貴族が対象となった場合、政府に金銭を納めることで罪が許される可能性があるという仕組みだったことです。

もちろん、そんな不公平な律令では成立するはずもなく、そのために存在したのが八虐謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義、国家に反するこれらの罪を犯した場合は貴族だろうと許されず、また刑罰も死刑になるケースが大半だったそうです。

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701年に大宝律令が完成。まず刑罰に相当する「律」に注目すると、五刑八逆が定められており、ただ貴族の場合は金銭を納めて罪が免除されるケースもあった。しかし八逆は国に反する重罪、例え貴族でも許されず、大抵は死刑になったそうだ。

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中央政府について

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