日本史歴史鎌倉時代

朝廷と幕府の権力争い「承久の乱」について元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

全国に支配が及ぶようになった幕府

承久の乱による朝廷の屈服で、幕府は完全に政治の実権を握ることになりました。また、将来同様の反乱が起こる可能性への対処として、北条泰時は朝廷の監視を目的とした六波羅探題を京都に設置します。さらに皇位継承にも口を挟むようになった幕府は、朝廷を支配下に置いたと言っても過言ではないでしょう。

これまで日本は東国を幕府が統治、西国を朝廷が統治していました。しかし朝廷が敗北したことでその二分化もなくなり、朝廷が権力を失ったことで正真正銘の武家を中心とした日本へと変わります。さらに、承久の乱後には新たに補任した新補地頭が多く誕生しました。

そこで幕府はその者達を西国の各地に配置、こうしてとうとう西国にまで幕府の統治が及ぶようになりました。思えば、北条政子の最期の詞がなければ幕府は後鳥羽上皇の挙兵に屈していたかもしれません。源頼朝が鎌倉幕府を成立して今の時代を作り、その鎌倉幕府滅亡の危機を源頼朝の妻・北条政子が守ったのです。

争いを繰り返した朝廷と幕府

承久の乱では朝廷と幕府が争いましたが、同様の争いは今後も起こります。鎌倉幕府は1333年に滅亡しますが、滅ぼしたのは倒幕を掲げてきた後醍醐天皇率いる倒幕派で、この時もまた朝廷と幕府が争っており、幕府軍の足利尊氏が反旗を翻して後醍醐天皇側につきました。

鎌倉幕府滅亡後は再び朝廷による政治の時代が訪れますが、後醍醐天皇による建武の新政はすぐに崩壊、一変して足利尊氏によって再度武家政権が築かれます。そして徳川家康による江戸時代の到来、江戸幕府は250年以上続く長期政権となりました

しかし明治維新によって江戸幕府は滅亡、朝廷による天皇中心とした政治が復活して、武士の時代はここで終わりを告げることになります。朝廷と幕府は歴史の中で互いに政権掌握と失脚を繰り返し、最終的に日本は武士・武将の時代が終わって天皇中心とした中央集権国家を目指していくのです。

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源頼朝が開いた鎌倉幕府の危機を、妻・北条政子が最期の詞で救った。それはドラマチックな結末だが、朝廷と幕府の争いは今後も起きていく。朝廷の反乱防止を目的に六波羅探題を設置したが、危惧したとおりやがてまた反乱は起こるのだ。

承久の乱は戦後処理が重要!

承久の乱を覚えるポイントは戦後の影響です。朝廷と幕府の争いという分かりやすい対立関係のため、戦いの原因などは比較的分かりやすく、また戦い自体においても要チェックなのは北条政子の最期の詞くらいでしょう。

それよりも戦後に日本は大きく変わるため、その点を中心に覚えると良いですね。六波羅探題の設置、幕府の全国支配、皇位継承における幕府の介入、このあたりは鎌倉時代末期を学ぶ際の知識としても役立つので、ぜひ覚えておきましょう。

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