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イスラムのサラディンと死闘を繰り広げた獅子心王「リチャード1世」の生涯を歴女がわかりやすく解説!

3-2 なぜ捕まったのか?

しかしなぜリチャード1世はオーストリア公レオポルトに捕らわれることになったのでしょうか。それはフランスのフィリップ2世がオーストリアのレオポルトをけしかけたため。

レオポルトは十字軍で遠征していた際にリチャードに対して恨みを持っていました。十字軍でレオポルト5世が自分の功績を示すため軍旗を立てると、それをリチャードに引きずりおろされてしまうことに。これに対してずっと恨みを持っていたレオポルト。リチャードは身を隠しながらいたそうですが、従者の1人がうっかりイングランドの紋章が入った手袋をはめていたのを見つけられ、捕まりました。

この出来事の背景にはフランスのフィリップ2世とジョンの陰謀が。リチャードがイングランド国外にいる間に、先にフランスへ帰国したフィリップはハインリヒ6世、リチャードの弟ジョンと手を結び、リチャードを王位から追放しようと目論んだのです。

3-3 法外な身代金を要求されることに

こうして神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世がイングランドに対して法外な身代金を要求することに。その額がなんと15万マルクこれはイングランドの歳入の5年分にあたる額でした。かなり法外な金額だったことが分かりますね。リチャードの母、アリエノールは教皇に仲を取り持ってもらい、10万マルクを支払うことに。この莫大な身代金によってイングランドの国民には年収の4分の1が、貴族や教会には金銀などの放出が求められたそう。

3-4 リチャードを捕えた報い?レオポルトのその後

しかしこれにはレオポルトに批判の声が上がることに。個人的な恨みからリチャード1世を捕えたレオポルト5世。この件により、最終的に彼は教皇から破門されてしまいました。

破門された後、レオポルトは騎乗していた際に落馬。これが元で亡くなってしまうことに。しかし教皇から破門されてしまったために葬儀はキリスト教式ではしてもらえなかったそう。自業自得とは言え、少しかわいそうですね。

3-5 フィリップ2世との戦争で戦死

こうしてなんとかイングランドに帰国したリチャード1世。しかしすぐにフランスのフィリップとの戦争が始まることに。彼はフランスのアキテーヌでシャリュ城を攻撃。しかし肩を射抜かれ、その傷がもとで亡くなりました。41歳でした。リチャードの後継者ですが、リチャードに子どもがいなかったため末弟のジョンが即位することになりました。

わずか5か月間しかイングランドにいなかった獅子心王リチャード

リチャード1世はイングランドの王だったにも関わらず、ほとんど国内にいなかった王でした。そして幼少期はフランスで暮らしたため、英語はほとんど話せなかったそう。そんな彼は父ヘンリ2世や他の兄弟たちと領土を巡って争ってばかりの人物。また怯むことなく、フランスとの戦争、十字軍で異教徒らと刃を交えたリチャードはとても勇ましいですね

また彼を取り巻く人物たちがとても豪華な顔ぶれ。父ヘンリ2世はプランタジネット朝を開き、弟ジョン王は貴族からマグナ・カルタを認めさせられることに。母アリエノールはフランス王の元妃だったことから、リチャードの因縁のライバル、フィリップ2世が登場。そしてリチャード自身も、当時のヨーロッパ社会で起こった十字軍の遠征で武将サラディンと命がけの戦いを行った勇ましい人物。そんなリチャード1世は、フランスのフォントヴロー修道院で静かに眠っています。

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