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イスラムのサラディンと死闘を繰り広げた獅子心王「リチャード1世」の生涯を歴女がわかりやすく解説!

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イスラム側の武将、サラディンは不要な殺生を避けてキリスト教徒側から称賛されたが、一方でリチャードは激情家で身代金がなかなか入らなかったことに激怒して老若男女問わずムスリムを虐殺したんだ。リチャードはとても冷酷な面を持っていたんだな。

2-4 サラディンと獅子心王の死闘

1191年7月にアッコンを陥落させることに成功したリチャードら十字軍。ところがその後神聖ローマ帝国軍とフランス軍は共に帰国してしまうことに。戦場に残ったのは、獅子心王率いるイングランドの十字軍のみ。こうしてリチャード1世は、クルド人武将サラディンと死闘を展開します。リチャードにとっては分が悪い戦いとなりました。それでも粘り、1192年9月に休戦協定を結ぶまで健闘しました。

2-5 奇抜な提案をしたリチャード

さて、リチャード1世に関するエピソードにこんなものがあります。サラディンと休戦協定を結んでいた時にリチャードはサラディンに対し、リチャードの妹ジョアナとサラディンの弟の結婚話をもちかけたのです。ここでこの2人が結婚し、共同で聖地エルサレムを管理するようにと目論んだリチャード。この案に対しサラディン側は賛成。ところが肝心のジョアナが異教徒と結婚するのは嫌だと反対。これによってこの提案は実現することはありませんでしたが、戦いだけではない違う一面を感じますね。

2-6 十字軍の結果

こうして休戦協定後に、キリスト教側は海岸地帯を治めることに。そしてイスラム側はエルサレムを含む内陸部を治めることになりました。ちなみにキリスト教徒側の巡礼に関しては保障されることに。

さて十字軍を全体的に見てみれば、7回(8回とも言われている)の十字軍の遠征は、第1回を除いて全て失敗に終わっています。しかしこの十字軍の遠征によって、1戦いを指揮した国王の権威が上がる、2十字軍を呼び掛けた教皇の権威が低下する、3イタリアの諸都市が繁栄し、その後のルネサンスに繋がるなどの変化がみられることに。

3 帰国しようとするも…

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By Merry-Joseph Blondel[1] The original uploader was Kelson at French Wikipedia., Public Domain, Link

リチャード1世はイスラム教徒側との戦闘が終わると帰国の途につきました。ところがその道中にオーストリアで囚われ、その後神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡されることに。一体彼の身に何が起こったのでしょうか。それでは見ていきましょう。

3-1 十字軍から帰国しようとしたら、オーストリアで捕まる

サラディンとの死闘に終止符を打ったリチャードはイングランドに戻ることに。アッコンを出発したリチャード一行は、海路でイングランドを目指しました。道中に海賊に遭うことを警戒し、テンプル騎士団に扮したリチャード。海賊に遭ったそうですが、なんとか切り抜けます。しかしその後アドリナ海で船が遭難。リチャードは数人の家来と共にヴェネツィア付近に漂着。当時のヴェネツィアはオーストリアの領土であったため、オーストリア公レオポルトに捕らわれることに。そしてなんと神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に引き渡されたのです。

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