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イスラムのサラディンと死闘を繰り広げた獅子心王「リチャード1世」の生涯を歴女がわかりやすく解説!

今回は12世紀のイングランド王だったリチャード1世についてです。リチャード1世と言えば、第3回十字軍でイスラムのアイユーブ朝のサラディンと死闘を繰り広げた人物として有名です。そして家族には歴史上有名な人物がいるんです。

リチャード1世の生涯を通して、彼の激動の時代を読み取っていきます。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。ハプスブルク家やブルボン家、イギリス王室の関連書を愛読中!今回は、第3回十字軍でエルサレムを巡ってサラディンと戦ったリチャード1世がどんな人物だったのか、彼の生涯に触れながら解説していく。

1 リチャード1世

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さて、リチャード1世と言えば第3回十字軍でイスラム側の武将サラディンと激戦を繰り広げた人物として有名ですよね。しかしそれだけではありません!リチャード1世はイングランドのプランタジネット朝の2代目国王でした。まずはリチャード1世の生い立ちに触れながら解説していきますね。

1-1 獅子心王、イングランドで誕生

リチャードは1157年にヘンリ2世とアリエノール・ダキテーヌの3男として生まれました。イングランド生まれでしたが、幼少期はフランスのアンジューやアキテーヌで過ごしたため英語は話せなかったそう。(その代わりフランス語は堪能)父ヘンリ2世の死後、1189年にプランタジネット朝2代目国王として即位。ところが彼は在位期間のほとんどを国内で過ごすことなく、戦争に明け暮れていたそう。王となってからはイングランドへはわずか5か月しか滞在していなかったのは驚きですよね。ちなみに「獅子心王」という異名を持つ人物としても有名。

1-2 父はプランタジネット朝の始祖

さて、ここでリチャードの家族について簡単に触れておきます。リチャードの父ヘンリ2世は、イングランドのプランタジネット朝を開いた人物。しかしもともと彼はフランスのアンジュー伯。なぜフランスの貴族の彼がイングランドで王朝を開いたのでしょうか。

それはヘンリの母マティルダがノルマン朝の血を引く人物だったため。こうしてフランスのアンジュー伯だったアンリは、1154年にヘンリ2世として即位することに。

1-3 母は元フランス王の妃

リチャードの父、ヘンリ2世はもともとフランスのアンジュー伯でしたが、彼の母はどんな人物だったのでしょうか。

リチャードの母は、アリエノール・ダキテーヌ。アリエノールはヘンリと結婚する前にはなんとフランス王ルイ7世の妃でした。しかしルイ7世と離婚した後にヘンリと結婚。また彼女はフランスのダキテーヌ侯家の相続人だったため、結婚によってフランスのアキテーヌがイングランド領となることに。ちなみに12世紀のルネサンスの華と呼ばれていたそう。

1-4 弟は失地王ジョン

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歴史的に有名な人物はリチャードの両親だけではなく、彼の弟にも名を馳せた人物がいました。そう、ジョン王です。ジョン王と言えば、「失地王」という異名が有名ですよね。しかしなぜこのような異名がついたのでしょうか。一説には、ジョンだけが父ヘンリから領土を与えられなかったからと言われています。ヘンリはジョン以外の息子たちに領土を与え、この時リチャードはアキテーヌを相続することに。また他の説には、リチャードが亡くなった後に即位したジョンがフランス王にフィリップ2世に敗戦しフランス領土のほとんどを失ったためとも言われています。

余談ですが、リチャード1世が亡くなった後に即位したジョンは教皇からは破門され、フィリップ2世との戦争では負け、更に国内ではマグナ・カルタを認めさせられることに。

\次のページで「1-5 父と兄弟間で領土争いが起こる」を解説!/

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