室町時代戦国時代日本史歴史

戦国最強と呼ばれていた武田氏が敗れた「長篠の戦い」を戦国通サラリーマンが5分で解説

よぉ、桜木建二だ。戦国時代の中頃までは刀や槍そして弓矢が主力の武器ではあったが、ヨーロッパ船が日本へ漂流したことがきっかけで鉄砲を入手し戦場でも多く活用されていくようになったようだ。しかし現代の鉄砲のように軽いわけでもなく単発しか放てなかったため多人数で攻められてしまうと分が悪い武器だったようだな。ただ威力は凄まじく甲冑すらも打ち抜くことできたので当たれば相手に致命傷を与えるほどの武器でもあった。

そこで今回は鉄砲をうまく活用し大きな損害を与えることが出来た戦を歴史マニアでもあり歴史ライターのwhat_0831と一緒に紹介していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

what_0831

ライター/what

当時の戦で最強と呼ばれていた武田騎馬軍団が敗れてしまった、長篠の戦いを紹介していきつつ近年になって判明してきた諸説も交えて紹介していく。

織田氏と武田氏との関係性

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長篠の戦いが始まる前の両者についてみていきましょう。

武田氏による今川氏と上杉氏との争い

1560年に発生した桶狭間の戦いで、駿河国全体が動揺していましたが今川氏真との同盟を維持することを選択していた武田信玄。しかし弱体化していた今川家といつまでの同盟関係になっていても仕方が無いと判断した信玄は氏真と対立していた徳川家康と同盟を結び駿河国侵攻を開始していきます。同時に協調してもらいたい北条氏康にも駿河国を攻めるようにと話しを持ち掛けると氏康は拒否し今川方の味方になりました。

氏康は娘だった早川殿を氏真の妻にさせていたため、今川氏を見過ごすことは出来なかったようです。氏康が今川方についたことで信玄との甲相同盟は破棄され対立していくことになりましたが家康と所領を巡ることになり、家康と氏真が和解したことで駿河侵攻が一旦止まってしまいました。

また氏康の圧力と越後の上杉謙信がいつ攻めて来るか分からない状況だったため自国の守りを固めていきます。

信長の上洛

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家康が今川氏と和睦している間に織田信長は室町幕府将軍だった足利義昭を奉じて上洛を行っていました。これに伴い信玄は将軍から直々に和睦の勅使をいただくために信長を通じて義昭に会い謙信と和睦を行っていきます。

謙信と和睦を行ったことで攻められることが一旦は無くなり、反上杉派と反北条派となっていた大名らと同盟を結び謙信と氏康に圧力を掛けていきました。常陸の佐竹氏などの力を借りて一時は堅城と呼ばれていた小田原城を取り囲み、長期化すると思われましたが籠城する北条軍に対して挑発を行った武田軍。

依然として動きを見せない北条軍は籠城の構えを維持していくも、武田軍は小田原城を包囲してから四日前後で撤退していき追い打ちをかけた北条軍でしたが三増峠にて撃退され小田原城へ引き返していきました。

義昭と将軍の対立

二度目となる上洛を果たした信長は、義昭から朝廷での官位を授けるといわれておりました。義昭の一番の目的は幕府再興だったため幕府に尽くす将を信長に決めていたことでしたが、信長は幕府再興になど興味は全くなく天下を統一することが成し遂げたいことになります。

この目的の不一致が徐々に両者の関係が崩れていくこととなり、義昭は信長の影響力を弱めるために謙信や信玄そして毛利輝元など信長と同等の力を持っている大名に対して御内書を発行し信長包囲網を築き始めていきました。これにより義昭は挙兵し反信長として兵を率いていきます。

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