ところで、東大寺や大仏の建立に動員されたのべ260万人の人々がいますね。現場で働くのはもちろん貴族や天皇ではありません。地方や都で暮らしている民のみなさまです。でも、よくよく考えると、天然痘が猛威をふるっているなか、奈良時代の重い税を払いながらもなんとか生きようとがんばっている人々を集めて働かせるわけですから、当然、彼らの暮らしは厳しくなるばかり。
こんなのやってられるか!と暴動が起きそうなものですが、それをなんとか抑えられる人がいました。その奇跡のような人こそ、「行基」という名の私度僧だったのです。
この時代の仏教は国を守る「鎮護国家」の思想がありましたから、当然、仏教に帰依する僧侶たちは国のために働く人々でした。しかし、仏教はそれだけではなく、人々のために活動することも大事だとして、民に教えを説き、ため池や用水路をつくり、時には病人の看護までして人々を救う僧侶たちがいました。国のためでなく民のために行動する僧侶たちは「私度僧」と呼ばれ、朝廷は彼らを民を惑わす罪人として扱います。
国家に犯罪者として扱われながらも、行基は人々の救済につとめて民衆から絶大な人気を博しました。だから、朝廷は逆にそれを利用することにしたのです。
聖武天皇は行基に接近し、彼に大仏建立を協力するように依頼しました。朝廷が考えたとおり行基の力は絶大で、結果、大仏のための膨大な資金や労働力がなんとかなっちゃうんですね。その功績によって行基は仏教界の最高位「大僧正」の位を日本で初めて贈られました。